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クロックワーク・ロケットをよむ

!!注意!! グレッグ・イーガン『クロックワーク・ロケット』のネタバレを含みます。

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(ヤルダの法則)

 2015年12月18日に早川書房から出版されたグレッグ・イーガンの『クロックワーク・ロケット』。

クロックワーク・ロケット (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

クロックワーク・ロケット (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 おもしろかった……。田舎生まれの科学者ヤルダの成長と科学者としての人生、夜空を彩る多色の星の尾、夜に咲く輝く花、不吉な「疾走星」、光についての実験から発見した「回転物理学」とそこから予想される種族に迫る滅亡の危機、それを回避すべく動き出す〈孤絶〉の計画……。科学の発見がそのまま世界の理解や事業に繋がっていくストーリーに熱くなりっぱなしだった。

 これがOrthogonal〈直交〉3部作の第1作でまだまだ続きが読める。しかしそのために電磁気学や熱力学に相当する理論が完成を見る前に終わってしまい、とてももどかしい。続き*1に進む前に作中の計算を楽しんでみることにした。

光の方程式

 表紙をめくると1ページ目から「遅い赤」という言葉で攻めてくる。光の速さは一定では――という常識を持ち込んではいけないことがここでがつんと示される。そして波長と周波数の関係こそがヤルダの理論の出発点になるのだった。それを見てみる。

 そういえば光学から入るというのは白熱光と逆の順番だと気付いた。彼らは基本的な幾何光学ですら一般相対論より随分遅れてから得たのだった。



フーリエ級数展開フーリエ変換ではなく

「四つの次元それぞれについての波の二次の変化率を合計して、その和の符号を反転させれば、もとの波かける、定数かける、それ自体が定数である周波数の二乗の和、が得られます。そして、それが光の方程式です。」(p.152)

 光の周期-波長関係を発見し, その満たすべき微分方程式――ヘルムホルツ方程式――を予想したあとジョルジョ教授の指摘によってヤルダを悩ませたのは、方程式が指数関数的に発散する解を許容するということだった。

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 これは多分斉次ヘルムホルツ方程式と呼べばいいものだと思う。Aは4元ベクトルで電磁ポテンシャルの感覚。bは補遺2のvblue=78大旅離(セヴェランス)毎停隔(ポーズ)=青い光の速度で、空間と時間の単位を揃えるための定数。光速=因果関係の伝搬速度の上限という意味はないし、そもそも光速は一定ですらない。

 Kは定数だが記号は勝手に置いた。〈孤絶山〉の観測所での実験によって波数と角振動数の2乗の和がこのKの2乗に等しくなることを発見してヤルダは回転物理学に到達した。『クロックワーク・ロケット』巻末の補遺2との記号の関係は、

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 作中の単位を使うとおよそK=564グロス毎微離(スキャント)


 面倒なのでx0=bt,x1=x,x2=y,x3=zとしてしまう。ヤルダが収監されていたとき発見したのは円環ならうまくいくということだった。光の方程式が振動する解と同時に指数関数的発散をする解を許すという「数学的な」困難に対して時間と空間の両方が閉じていると考えるのは相当勇気のいる発想。ここにヤルダの柔軟さ(体ではなく頭の)が現れているように感じる。


このあたり『ディアスポラ』のラディヤとヤチマの多様体についての問答や、『順列都市』でマリアがオートヴァ―スから境界をなくすため3次元トーラスにしようとして断念したことなどが思い出される。

 閉じた空間の候補としてはまず球面が考えられるが、これがダメなのは境界条件を点にまで縮めてしまうことができるから。一方、円環なら、たとえばある瞬間の空間全体での光の様子などを調べないとその後の発展を知ることができない(らしい)。微分方程式の解に空間の位相幾何的な性質が反映されるという面白い話につながっているよう。

 さてヤルダの考え方をこっちの数学で表してみる。「円環」というが想像としては4次元の格子でいい。4次元ユークリッド空間を考えてt,x,y,z=xμ(μ=0,1,2,3)方向に[-Lμ/2,+Lμ/2]の周期があるとしよう。この「ブロック」、単位格子を

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とおく。このときこの領域で定められた関数f,gに対して内積と正規直交基底を以下のように定められる。

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が正規直交基底をなすことになる。

 とりあえずヤルダの光の方程式を解いてみる。Aとφnの内積をとってみると、

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が得られる。ここから、解が存在するならこれを満たす整数n0, n1, n2, n3の組が存在しなくてはならないということが分かる。格子の辺の長さLはそれぞれ決まっていて, 時空の周波数Kも決まっているから、光の方程式の解が存在すれば、ちょうどよく対応する整数が存在するようにこれらの定数もまた調整されることが必要になる。

(が実はあとでこの式が満たされていないほうが都合がいいと分かる。)

 仮にすべての辺長が同じなら

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から(KL/2π)^2が自然数になることが課せられる。*2

 結局、光はこれを満たすnに応じた成分の重ね合わせということになる。



ネレオの方程式の解――ヴァレリアのポテンシャル

「あるサイズの殻にとって……外の場は完全に消失するの?」
「そのとおりよ」
ヴァレリアがヤルダの言葉を裏づけた。
「半径が最小波長の半分の倍数だと、いつでもそうなるの。そして四分の奇数波長だと、内側の場が消える。」
(p.337)

 区間は有限かつ周期境界条件が課せられるため上で述べたように本来はフーリエ級数展開微分方程式を解くべきだが、単純化のためにはフーリエ変換でいい。これは直交関数系がほとんど連続とみなせるためで、Kと宇宙の径の大きさがその理由になっている。

「このすべては単なる理想化だが――宇宙をなめらかに包む必要から、制約の追加とそれによる複雑化が余儀なくされる――それは出発点だ。」(p.288)

 ここは多分本来はフーリエ級数展開を使うべきであるといういうことを言っている。

 そういうわけで空間を無限とみなしてネレオの方程式の解、特にヴァレリアが求めた球殻状の光源の周りの場を計算してみる。

ヘルムホルツ方程式のグリーン関数

 関係ないがグリーン関数やグリーンの恒等式に名を残すジョージ・グリーンはパン屋さんだったらしい。ヤルダがパンのための小麦を育てていたことをちょっと思い出す。

 解くべきものは3,4次元のヘルムホルツ方程式だが、一般にn次元のヘルムホルツ方程式のグリーン関数Gを求めてみる。回転に対して不変であるという条件を課し、動径rにのみ依存するとすると、極座標への変換から以下のような式が得られる。*3

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ここでνを用いて以下のような置き換えをする。

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ν=(n-2)/2としてr~=Krと置くことで解くべき式は次のような形になる。

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r≠0で左辺は0となるためこれはν次の(r~についての)ベッセルの微分方程式になる。
この微分方程式の解には線形独立なものが2つ存在して、ν次のベッセル関数Jν, ノイマン関数Yνの線形和として表せることが知られている。

Wikipedia英語版の記事。日本語版もあるが公式が少ない。https://en.wikipedia.org/wiki/Bessel_function )

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係数a,bを決めるために再び微分方程式に戻って原点を中心とした半径ε→+0の球Sで積分する。

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ここでベッセル関数についての性質から、左辺第1項について、

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ゆえに、

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 収束性についてかなり危ない計算をした気がするが気にしない。またaの不定性が残るが、球対称性以外の境界条件を決めていないため仕方がない(と思う)。後で少し触れることだが、周期境界条件の下でフーリエ級数展開してから連続化するとこの成分が残りそう。

 さて、わざわざ一般にn次元のヘルムホルツ方程式のグリーン関数を求めたがこれから使うのはn=3だけ。n=4も時間的に変化する場に対しては必要になるはずだが多分2巻以降で使うことになるのだろう。それにしてもこっちの宇宙での波動方程式グリーン関数の簡単さと違ってn=4は1次のノイマン関数が生で出てくるから大変そう。

 以下n=3。半整数次のベッセル・ノイマン関数は初等関数で表せる。

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 これを使ってヴァレリアが求めた、球殻状に並んだ輝素の作る光の場を求めてみる。厚み無限小の、原点を中心とする半径Rの球殻状の光源の密度は$δ(R^2-r^2)$に比例する。比例係数=面密度をσとすると、総量Qは

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この光源が作る光の場 ; スカラーポテンシャルφの従うネレオの方程式は、誘電率の気持ちでε0を入れて次のようになる。

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 さっき求めたグリーン関数を使ってこれを解く。極座標への変換を使った。

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 これで求まった。 ようやくヴァレリアの発見の意味が分かる。最小波長λmin=2π/K(=231ピッコロ微離(スキャント)=)だから、球殻の半径が最小波長の半分の倍数のときsin(KR)のかかる外側のポテンシャルが0、4分の奇数倍のときcos(KR)のかかる内側のポテンシャルが0になる。図はp.336に載っている通り。

 ちなみにK→0としQ/ε0を-GMと読み替えることででヴィットリオの求めた質量Mの球殻の周囲の重力ポテンシャルが出る。

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 また、R→0の極限では点光源の周りの場になって、

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 これはネレオが光方程式に光源の項を加えたことで初めて見出した解。と思ったが本文を読むとここでQ/ε0を負に取っているらしいことに気付く。重力との類似で語っているから誘電率にあたる比例係数を負に取っているということだろう。p.288に載っている通り、距離に反比例するポテンシャルを下限として正負に振動することが分かる。これはポテンシャルなので、力としては内向きと外向きが交互に働くという奇妙な場になっている。



周期境界条件

 ここまでは境界条件を考えない単純化だった。しかし実際にはフーリエ級数展開を考えることになる…のだが、色々引っかかるのでやめた。

 静止光源の「来歴」を時間軸に対して平行として密度がδ(x)δ(y)δ(z)に比例するとすると、計算は単純。時間を無視して空間についての直交関数系で展開すればいい。*4

 動く光源の場合にもそれが静止して見えるように座標を傾けて同じ結果が得られるといいのだが、等速運動では周期性の条件から、自然数回横断して元に戻るか、宇宙の単位格子を埋め尽くすかのいずれかの場合に分かれることになる。後者の場合はめちゃくちゃ。近似解としてはさっきとそう変わらないはずだが、厳密解を求めようとすると来歴の閉じ方が分からないためやめた。

 さらに(といってもこっちは多分解決可能)、非斉次ヘルムホルツ方程式では線形作用素Δ+K^2をかけると0になる任意の関数、すなわち真空中の光を加えても式が成立する。有限区間のフーリエ級数展開では、これは光の成分の係数の発散という形で現れる。ゆえにこの宇宙で非斉次ヘルムホルツ方程式=光源のある光の方程式が解を持つには「真空中の光」は存在してはいけないということになり、ヤルダが試みた最初の仮定に反する。

 この「真空」という表現が曲者で、全宇宙に過去にも未来にもたった1つも光源が存在しないことを意味する。ところで、こっちの宇宙では電荷0の空間でマクスウェル方程式を解くとまともな電磁波の解が得られる。この違いは光の伝搬の式が楕円形か双曲形か、という部分に起因している(らしい)。前者では1点での変化が「瞬時」に全体に及ぶのに対して、後者は1点での変化が他へ及ぶための限界の速度があり、それが物理的には光速として現れる。微分方程式の中のこの符号の違いをもたらすのが計量で、「場」の自然な方程式としてこれは避けられないのだろう。数学的にはある意味ですべてが予め決まっていなくてはならない、と言えて、まさにその点が作中時々挟まれる決定論的考えとの争いの元になっている。

 話を戻すと、多分「真空中の光」は存在しないと仮定してしまっていいのだろう。全ての光は光源に由来するべきである、という仮定でもある。ただしこの変更によって宇宙の円環構造を撤回する必要はない。

 しかしそもそも宇宙の姿として整然とした格子を想定するのが正しいのかという問題もある。この点は作中どんな理論が作られていっているのかちゃんと読めていない気もするのであまり変なことも言えないが今のところの思ったところを書いてみる。

 まず直角の格子は傾けると傾いた格子になるだけで、新しく直方体の格子を作ることはできない。宇宙は非等方的だと言える。また、ヤルダの台詞にも4次元円環以外の可能性に触れている部分があったが、もっと複雑な位相幾何的な形をしている可能性がある。さらにこの後一般相対論が見つかって平らでないことも分かっていくはず。それが光のありかたをどう変えるかは分からないけど。

 そういえば以前一般のn+1次元のマクスウェル方程式を保存則から導くというのをやったのだった。
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それと同じ要領で輝素の保存則とポテンシャルの方程式から光の場の幾何学を導くのもできそう。『クロックワーク・ロケット』でポテンシャルを決める方程式は出たものの、光のエネルギーと波長の関係がまだ分からなかったりするのでそのあたりを考えてみたい。というか続きを読もう。


まとめ(16/01/04追記)
 だらだらと計算式を並べるだけになってしまったが、こういう楽しみ方をできるところがこの作品のおもしろさだ。こっちの宇宙の、つまり人類の科学者達の名前が付いた定理や法則を使えないという制約があるため、どんな方程式について語っているのか一度読んだだけではいまいちピンとこないが、図もヒントになって読者も計算を確かめることができるようになっている。(ちなみに自分は白熱光を読んだときはニュートン力学を超えたところから一瞬で迷子になり、今も依然としてしっかり理解できていない。)既に固体の構造についての議論に見られる量子論の話題が入るであろう2巻以降もっと難しくなっていくようだが、こっちの宇宙の物理を学ぶモチベーションにもなりそう。

 そうして比較するとこっちの宇宙がいかに理解に優しくできているか、とくに時間の問題についてとても簡単に(というと語弊があるが)設定されているか改めて感じることもできるところがおもしろい。たとえば同時性の問題。p.392にヤルダがニノに対して〈孤絶〉と母星の同時性について説明する場面がある。〈孤絶〉の加速中、乗員にとって「同時」の母星は無限の未来にまで進み、減速するときは逆に過去に遡って見ることになる。本当に「見える」かどうかは別として、彼らの宇宙での因果律の難しさが端的に現れる。一方こっちの宇宙では加速したからと言って「同時」な時間の進み方が逆転することはない。特殊相対論は同時性の考え方を変えたが、ローレンツ計量は時間の意味をそれほど難しく変えたわけではない。

 しかしこっちの宇宙を優位であるかのように考えるべきではないのだろう。生き生きと描かれる〈直交〉宇宙たちの住人と「もう一つの物理学」は、こっちの宇宙を相対化するという試みの意味もあるように見える(と言うと少し大袈裟かも)。Diag(-1,1,1,1)や母なるこの宇宙の他の物理に万歳する前にちょっと慎重にならなくては。

*1:第2巻The Eternal FlameとThe Arrows of Timeの邦訳が2016年中に出ることが予告されている

*2:ちなみに数論にオイラーの4平方定理というものがあり、全ての自然数は必ず4つの平方数の和で表されることが平方剰余の理論から示される。 オンライン整数列辞典A014110:「nを順序付けられた4つの自然数の平方の和で表す方法の数」 https://oeis.org/A014110

*3:δ関数のこの置き換えについては太田浩一『マクスウェル理論の基礎 相対論と電磁気学』(東京大学出版会)p.26参照

*4:ちなみに波数成分を連続化してそのまま計算すると実軸上の極によって発散するが、主値積分で抑えると(こんなことしていいのか?)さっきのヴァレリアのポテンシャルと同じ結果が得られる。ついでに言うとだいたい同じ計算で3次元ヘルムホルツ方程式のグリーン関数を計算できる。