読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Shironetsu Blog

@shironetsuのブログ

ハダフライ

 2例あれば<故郷なき医師団>が動き出すためには十分な理由になる。
 世界中の医療機関から絶え間なく流れ込む膨大な医学的記録――その大部分は異常性の認められない疾患と外傷である――の中に、10時間の間隔をおいて地球を半周離れた2地点で共通の特徴をもつ変死体が現れたとき、<医師団>の連想マシン"Armchair Doctor"は「敵」の存在を察知した――人類の肉体に対する侵略が始まろうとしている。
 8時間後に日本の千葉県から3例目が報告された時点で調査団の準備は整っていた。本部から派遣された彼らが到着したときには、最近接地の常駐部隊により物理的・情報的封鎖が非常時マニュアルに従い既に完了していた。
 遺体として路上で発見された先の2例と異なり、3例目には発症から死亡に至る一連の過程の目撃者がいた。50代男性の犠牲者の妻である。監察を担当した医師とともにただちに聞き取りが行われた。当該目撃者は調査員の接触時非常に混乱していたが、Glawarcheの安寧/明晰化処置により、発症過程の詳細な口述を得ることに成功した。そこには意識的な回想では見過ごされたであろう最初の兆候が含まれていた。右手の甲に現れた直径1cmの色素斑――しみである。
 患者の自覚症状は軽微な発熱からはじまる。

 「昼食後に『体が熱い』と言っていたので今日はもう布団の上で過ごすようにすすめました。」

 彼女がそう語ったとき時刻は21時、まだ当日の夜であった。
 発熱の2時間後から容態は急激に悪化する。

 「夫はとても息苦しそうでした。あの人自身は気づいていないようでしたが、『ひび割れ』はもう顔にまで薄ら赤い線として浮かび上がってきていました。」

 悲劇的な経験の直後にも関わらず感情をほとんど抑制して彼女が淡々と発症過程を描写できるのは、Glawarche法のためである。異常な光景だが、進行中の事象はそれほどに重大なのだ。
 彼女が語るところによると、「ひび割れ」は皮膚の上に現れる薄桃色の線であり、およそ内径80mmの正六角形の平面充填タイルとして表面を分割してゆく。皮膚のすべてを使い尽くそうとするのだ。実際には体表面は複雑な形状であるため余剰も生じるものの、「タイル」は全身の表面を貪欲に覆ってゆく。分割線は起点から拡がると同時にその線を複雑に入り組ませ、やがてひとつの形状をとる。

 「握っていた左手の肌の質が明らかに変わっていることに気付いたころには夫は私の声に反応しなくなっていました。瞬く間に変化してゆくあの人の姿に茫然としてしまって救急車を呼ぼうという考えすら浮かびませんでした。今思えば何かが手遅れになってしまったことだけは直感していたのでしょう」

 ひび割れは真皮層にまで達する。皮膚の変質は、触感において「硬いゴムのような」「やや乾燥した」と形容された。彼女が混乱の中で見つめたタイル形状の変化が顔面の右側から進行していたことは、起点が右手の甲のしみにあることと符合していた。
 「羽化」は全身の皮膚の変性が完了した段階で一斉に始まる。タイルが縁から剥離し、鱗翅目――蝶のような対の羽がゆらゆらと全身で立ちはじめる。
 
「すがるような気持ちで元のままかもしれない背中の側を見ようとしました。上半身を起こしたとき体は奇妙に軽く感じられました。しかしそこにも蝶は生まれてきていました。」

 皮膚から生まれた蝶の群れは肉体の残りの部分も無駄にはしない。体液を吸い肉をむさぼり骨をかじり腹にその栄養を蓄えると、ふた回り大きく手のひらほどになった羽で生前に犠牲者が身に着けていた服を抜け出し飛び立つ。後に残るのは栄養に乏しく薄いピンクをした人の輪郭をかろうじて留める滓のみであった。

 先の2例と同じだ。乱されていれば人が消えたことすらわからなくなっていただろう。行方不明として処理された犠牲者が陰でもっと多く発生しているかもしれない。
 飛び立った蝶はどこへ行ったか?犠牲者の家の周囲では空高く飛んでゆく薄褐色の蝶の群れが目撃されていた。その点で封鎖は失敗しているのだ。
 さいわい犠牲者の部屋で1個体の未熟なまま活動を停止した蝶が回収された。いびつな形状はタイル充填の不整合による体形成の失敗を示していた。サンプルは研究所へ直ちに送られ、分析にかけられた。残存DNAは犠牲者のものと一致した。
 また上空で展開された<医師団>所有の捕虫ドローンはおよそランダムな方向に飛翔する活動個体の観察と回収に成功、さらに変死体の発見が報告されていない地域の上空では未確認の犠牲者のDNAを持つ蝶が捕獲された。その数は10を上回っていた。
 パンデミックが発生しようとしているかもしれない。
 これをもってまもなく事態は脅威度S7に引き上げられ、<無名>の使用を含む実験計画が承認された。

 "Armchair Doctor"は調査報告を受け取ると、すぐに「しみ」と5日前に観測されたコヒーレント性の高い4つの波長の紫外線との関連性を予見した。

 <医師団>の擁する天文監視班は地上と軌道上に望遠鏡を展開し、常時人類への脅威となる天体的事象の監視を行っている。地球-太陽系L1点に配置された<常昼>衛星は、「大気の窓」をかろうじて通り抜ける比較的透過性の高い紫外波長領域の電磁波にコヒーレント性の高いものを数イベント捉えた。パルスの欠落と不明瞭さが詳細な解析を阻んだが、データの蓄積によりそこにコードされているものがあることが発見された。何かが太陽から送信されている。

 "Armchair Doctor"は生物体への「コード紫外線」の照射実験計画を提案した。同時に大まかに異なる8つの方針を持つ計画が提出され実行されたが、結局のところ「正解」はこれだったのだ。

 照射実験はまずマウス、ウサギ、カニクイザルを含む哺乳類に対して行われたが、通常紫外線の曝露を受けた時と同様の症状が現れたのみだった。
 次に行われた実験では人造ヒト皮膚シートにコード紫外線が照射された。結果は劇的なものだった。条件の整えられたシートの全てに異常な硬化とその周囲に拡がるひび割れが観測された。ひび割れ起点から分離された異常な分子はそれがコード紫外線由来であること示していた。このときコード紫外線は4本が同時に揃って1mm以下の近傍に当てられることが必要だった。4つのコード紫外線はヒトの皮膚に特異的に反応しひび割れを誘発するのだ。
 <無名>への照射実験は皮膚の異なる部位に対して行われたがいずれの条件でも「羽化」が起こった。しみのできる場所には依らないらしい。
 こうしてコード紫外線の潜在的危険性が明らかになった。日光を浴びる全人類の皮膚が「羽化」してしまわないのは専ら4本のコード紫外線の欠落によるものだろう。完全な形で地表に到達する確率は極めて低いのだ。
 同時に進行していた実験から明らかになった事実として、「蝶」をすりつぶした懸濁液の皮膚への注射でも「羽化」が起こることが確認された。コード紫外線により形成される分子が感染性を持つのだ。しかし通常の接触、摂食では「羽化」は起こらなかった。予想される患者の潜伏期間の短さ、致死率の高さ、現時点で確認される蝶の行動パターンを考慮するとヒト-ヒト感染によるパンデミックの危険性は低いと考えられた。

 原因が突き止められてゆけば対策への道が開けてゆく。このとき天文観測班からの凶報として太陽にも「しみ」が増え始めたことが報告されていた。黒点の増加が示す太陽の「敵意」――コード紫外線の増光の兆候。時間はない。直ちに防護作戦を実行せねばならなかった。

 実行に移されたのは<日焼けどめ>作戦だった。毒を以て毒を制す――<医師団>の秘密裡に散布したウィルスは人類を永久的に作り変える。導入された遺伝子はコード紫外線分子の産生を妨げるものだ。
 最初の犠牲者の報告から3か月後に異常な太陽フレアが発生した。それは地表にコード紫外線の雨を降り注がせたが、被害は非異常性のもの――とはいえ損失は甚大であるが――に留まった。<医師団>は人類を肉体の侵略から守ることに成功したのだった。

 謎はいくつも残る。なぜ太陽がヒトを「知っている」のか?蝶はどこへ飛んでゆくのか?
 <日焼けどめ>作戦までに世界で1000の犠牲者が出たが、太陽フレアが上空の蝶の活動を停止させたことが観測から明らかになった。地球重力圏を抜け出した個体はいるだろうか?そうした例は今に至るまで発見されていないが――。
 <医師団>の把握できていない破壊思想団体、敵意を持つ異文明等の存在が仮説として立てられたが、どれも現時点での検証は困難だった。いずれにせよ<故郷なき医師団>の使命は、肉体を狙う脅威から人類を保護することなのだ。

(終)

~~~~~~~~~~

 生きている人のものではなくなった皮膚ってグロテスクだよね、というのが主に言いたいことだがとりわけ強く主張したいことでもない気がしてきました。140字で書いておけばいいような話だが実際半年くらい前に似たようなことを書いていたのを確認した。蝶型の平面充填タイルの形は?紫外線で媒介されるウィルスは可能か?……知らない。(しかし今思えば『エターナル・フレイム』のあれそのものだ。肌から飛び立つ蝶のイメージというのも感染源がある可能性が出てきたぞ。)

 『ブラッド・ミュージック』で人の肌の色の膜が都市を覆うというようなイメージ(だったはず)があったが、あの何とも言えない気持ち悪さというのは、もはや人のものでない皮膚のグロテスクさから来ているのだと感じる。

 書きながら突然思い出した。『ブラッド・ミュージック』を読んだあとに見た夢で、肉ではなく皮なのが薄気味悪さを与えていてよいと講釈を受けるという場面があったのだった。どこかにメモしているはず…。どういう夢なんだか自分でもわからないが強い印象を受けたのは確かだったようだ。

 やや意味が変わるが人の肌をもつ獣というのもおそろしい。スティーヴン・バクスターの『真空ダイヤグラム』中の一篇に、人類の生き残りのために用意した世界にヒト由来の獣やメラニン色素の植物を住まわせるという場面があったが、なんとも趣味が悪くて好きだった。バクスターの作品にしばしばグロテスクさの追求が見られるという話を思い出す。

 人肌のコウモリ、人肌の豚ブタ、人肌のライオン、人肌のイルカ、人肌のタコ、人肌の人肌の人肌の……
 人の目で見つめてくる人肌のカエル。人の歯がのぞく口をぱくぱくさせて集まってくる人肌のコイ。

 人皮装丁本というものがありますね。(ゆゆ式7巻p.80!)人の皮のランプシェードというのも猟奇的事件などの話の中でやたらよく語られる。人皮の太鼓、人皮の帆船、人皮のベッド……

 そもそもグロテスクさというのは「人に近いもの」に感じる性質なのだから進化レベルで当然のことなのかもしれませんね……と言うのはやや浅はかか。