Shironetsu Blog

@shironetsuのブログ

お肉は高い

 グレッグ・イーガンはヴェジタリアン*1らしい。このことは英語版Wikipediaの記事で知った。
Greg Egan - Wikipedia
といっても記事中では"Egan is a vegetarian."の一文しか書かれていない。ソースとして貼られているリンクはふたつ。

 ひとつはUniversity of Illinois Pressから出版されたSF作家評論本シリーズのイーガンの巻。*2

 もうひとつはイーガン自身の個人サイトで公開されているイラン旅行記のページのPart2イスファハーン滞在記。
www.gregegan.net
『ゼンデギ』("Zendegi")執筆のための取材を目的としていたというこの旅行、食事に関する体験がここにいくつか書かれている。いくつか引用して見てみる。

(Sunday 19 October 2008)
"In the hotel restaurant I scanned the menu and found that they were offering vegetable kebabs, but when I tried to order this they turned out to be a mirage: unavailable. Iran would be a paradise for a vegetarian with access to their own kitchen; there are small shops everywhere selling every kind of cheap, fresh provisions you could possibly need - every legume, every vegetable, every spice. For a vegetarian traveller living in hotels and eating out, though, it’s an easy place to lose weight. In Tehran I hadn’t found a single restaurant that actually served a vegetarian meal, and it looked as if Esfahan wasn’t going to be any better."

(訳)
 「ホテルのレストランに入りメニューに目を通すと野菜のケバブを見つけたが、注文しようとするとそれはまやかしだと判明した。取り扱っていないのだ。イランはキッチンがあればヴェジタリアンにとっての楽園かもしれない。求める限りどんな種類の安くて新鮮な食料品でも売られている小売店がいたるところにある――あらゆる豆類、あらゆる野菜、あらゆるスパイス。ヴェジタリアンの旅行者がホテルと外食で過ごすなら、しかし、簡単に痩せられる土地だ。テヘランでは本当のヴェジタリアン用料理を提供するレストランはただのひとつも見つけられず、イスファハーンでもそれは変わるところがないようだった。」

(Monday 20 October 2008)
"For lunch I bought a bowl of fereni, a sweet made from rice, flour and sugar - not the healthiest of meals, but one of the few filling things I could find without meat in it."

 (訳)
 「ランチにはボウル一杯のフェレーニを買った。これは米と小麦粉、砂糖から作られるスイーツで、健康な食事とはとても言えないが、満腹感をえられる数少ない肉の使われていない料理だった。」

(Tuesday 21 October 2008)
"Finding vegetarian food was still a struggle; I was filling up on pistachio nuts and banana milkshakes. "

 (訳)
 「ヴェジタリアン用料理を見つけるのには依然難儀し、私はピスタチオとバナナミルクシェークで腹を満たしていた。」

(Wednesday 22 October 2008)
"Later, in a tea house under the Si-o-seh Bridge, I finally tasted ash-e-reshte, a delicious soup made from noodles, beans and vegetables. I’d walked past another establishment mentioned in my guide book that supposedly sold ash-e-reshte ... but that place had featured a huge picture of the head of a butchered sheep above the shopfront, which didn’t inspire much confidence that they were sticking to the vegetarian version of the recipe."

 (訳)
 「そのあと、Si-o-seh 橋の下にある茶店でようやくash-e-reshteにありついた。麺、豆類、野菜から作られるおいしいスープだ。それ以前に、ガイドブックに載っていたおそらくash-e-reshteの売られている他の店も通りかかっていたが、店先の上には屠殺された羊の頭の絵が大きく掲げられており、ヴェジタリアン用のレシピに忠実だという自信はとても持てなかったのだ。」

 「私はヴェジタリアンだ」と言っているわけではないが、これだけ書いているからにはまあヴェジタリアンなのだろう。

 この取材旅行をもとに書かれた『ゼンデギ』にもヴェジタリアンとしての主張が反映されいているらしい部分がある。

「ホレシュト・サブズィ(ルビ:野菜煮込み)を作ったわ」
「わぁい、いただきまぁす」
 ナシムはハーブの上品なかぐわしさを嗅ぎとった。キッチンに入って、鍋の蓋を取る。「これが野菜煮込み?」ナシムは嘆き叫んだ。「鶏肉はいつから野菜になったの?」
「喜んでほしいんだけどね」母が抗議するようにいった。「牛肉を使わなかったんだから」
「わたしはヴェジタリアンなの! 何度もいったでしょ! 鶏が光合成するのを見たことがある?」

(中略)

 母がため息をついて、「おまえは牛肉を食べるべき。女性は鉄分が必要なの。一日じゅう生物学者と話をしているんだから、それくらいは知っているでしょ」
「そして母さんは経済学者なんだから、食肉生産は土地と水とエネルギーの浪費だ、くらいは知っているでしょ」肉をやめたのはほんの三カ月前だが、ナシムはすでに、動物の体を食べると考えただけでむかついた。「とにかく、これはわたし個人の選択よ。だれかに豚肉を食べさせられそうになったらどんな気分か、考えてみて」
「いちどだけベーコンを食べたことがあるよ」母が告白した。「偶然に、教授会のパーティでね。味は塩漬けの脂肪でしかなかった。でも、豚肉禁止の規則は完璧に合理性がある。豚の病気は人間に伝染しやすいからね。牛だの鶏だのから人が罹る病気はいくつある?」
 ナシムは口をいったんひらいてから閉じた。これからは自分で食事を作る必要があることを、受けいれればいいだけだ。
早川書房『ゼンデギ』pp.138-139)

 ナシムはイラン人の科学者である。のちにサイドローディングという技術によりヒトの脳のスキャンを目指したプロジェクトに関わっていくことになるが、最初の研究テーマは千羽分の錦花鳥の脳からマッピングした神経ネットワークの機能の解析だった。

 総計で千羽近い錦花鳥の生と死によって、ナシムの眼前にあるマップは作られていた。
(中略)
けれどもナシムは、自分がどこを限界だと考えることになるのか、明確な考えが持てずにいた。もし実験対象が――人類にとってなんら火急の必要性がない点では同様のプロジェクトにおいて――鳥ではなく千匹のチンパンジーだった場合、自分がそれに合理的な理屈をつける方法を探そうとするのか、それとも立ち去ろうとするのか、わからない。
(同pp.64-65)

 彼女が研究に関わる倫理の問題について明確な基準は持てていないことがここで示されているが、当然ながら動物を使った実験すべてを否定するような立場にはない。

 ヴェジタリアンという属性がこの作品内でどういった役割を持つのか*3といった点は脇に置きつつ、ヴェジタリアンはここでは十分理性的な選択として描かれているように思われる。ことイーガンの作品において「理解のない親」が出てくる場合はそうだし、すでに我々は作者自身がヴェジタリアンであることも知っている。




 ここから個人的見解。

 家畜に感情移入した倫理や健康への影響以外に肉食を控えるべき理由があることを、このあたりの記述から納得させられることになった。というかイーガンが書いているというだけの理由でようやくまじめに捉えるようになった。肉食が経済的にも環境的にも負荷が大きいということは常々言われている。狩猟や放牧ではなくわざわざ育てた植物を餌として与えているのだから植物食よりコストがかかるのは当然だ。

 生の植物より上質な栄養に富む脂ののった肉を好むのは進化上の必然性があるし、いくつかの必須栄養素は植物からは得ることができない。肉を食べてきたことがヒトの知能の発達に寄与したというのもおそらく事実で肉食がヒトをヒトたらしめているというのもそうだろう。

 しかし飢餓の中で形成された際限なく肉を求める嗜好性のコストを考えると、そうでなければ軽減できた負担について想像せざるをえない。ヒトの肉食動物としての側面は環境の変化に全く追いつけずに残った痕跡器官のようなものだ。明確にいつ頃からかははっきりさせ難いが、調理により植物の消化が容易になり、農耕により安定的に栄養源を生産できるようになり、密集して暮らすようになった段階から身体機能も本能も植物食動物(ただし調理済みの)に移行できていたらよかった。

 進化の結果は正しさとは無関係だ。肉を食べることで野菜や穀類を食べるより大きな幸福感が得られるならそのこと自体が進化のもたらした不幸かもしれない。絶対の必要性がないことを理由に個人の幸福の追求が制限されるべきではないとはいえ、野生動物が食用の乱獲によって絶滅させられそうになっている例を21世紀にもなって見せられると、そうも言っていられないように思わされる。

 今の人々は食に関しては無自覚に不寛容さを発揮しがちで、干渉されるとなるとなるとなおさらだ。しかし倫理的なスタンスの問題に留めず産児制限と同列に考えるくらいの緊張感は必要なのでは。とは自分が言うまでもなく叫ばれていたことだろうけども。

*1:正直「ヴェ」はあまり落ち着かないのだが一貫性のため『ゼンデギ』の表記に従っている

*2:"Greg Egan (Modern Masters of Science Fiction)" Amazon CAPTCHA 一応物理書籍を買ったのだが今手元になく調べられていない。ただ内容の検索もできるので(というかWikipediaの記事中のリンクは検索ページに貼られている)見てみると"He's a vegetarian."くらいしか書かれていないような。

*3:最もコレクトネスのある立場ではこういった属性のいちいちに役割を見出そうとすることさえ叱りの対象になりそうな気もしながら