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「琴線に触れる」の語源を『列子』に求める説は正しい?

 「琴線に触れる」の元来の意味は「感動や共鳴を与えること」。ところが、「逆鱗に触れる」との混同が進んだ結果、「怒りを買うこと」という真逆に近い意味で使う人々が増えている…ということはしばしば話題になるし、SNSなどで実例を見つけるのも容易い。文化庁による調査も公表されている。

www.bunka.go.jp

この語を検索すると、この「誤用」を主題にした似たり寄ったりの記事たちを読むことができる。その中のいくつかで、中国の「列子」を由来とする記述が見られる。

「琴線に触れる」は中国・周の時代に生まれた故事が語源だとされいます。中国の漢文「列子」には「琴の音色を聴いている耳は、まるで私の心の中のようである」という文章が示されています。心に響く美しい琴の音色が容易に想像できるでしょう。

現在でも中国では心の奥や心情を「琴の糸」になぞえ、目に見えることのない感動や共鳴を表す言葉として使っています。このような背景からも、古代中国から伝わる歴史の名残が今もしっかり受け継がれていることが理解できるでしょう。

biz.trans-suite.jp

「琴線に触れる」といった心の奥底の心情を「琴の糸」に例えて比喩的に表現したものは、古代中国である「周」の時代から使われているそうです。
 周の時代に伯牙(はくが)と鍾子期(しょうしき)の故事から生まれたものであり「君が琴を聴く耳は私の心の中とそっくりだ」(『列子』「湯問第五」)と言ったことが語源とされています。
琴という楽器の歴史の長さにも驚きますが、このような美しい表現がかなり昔から誕生していたことも驚きですよね。

smcb.jp

Google検索で見つかる範囲で一番古いのはこの「人力検索はてな」での質問に対する回答だった。

中国での初出

中国周代の伯牙(はくが)と鍾子期(しょうしき)の故事から生まれたものである。「君が琴を聴く耳は私の心の中とそっくりだ」(『列子』「湯問第五」)による。岡倉天心茶の本』「芸術鑑賞」の章に伯牙が弾ずる霊妙な琴の物語があり、その中で天心は「我が心琴の神秘の絃はめざめ、我々はこれに呼応して振動し、肉を躍らせ血を湧かす。心は心と語る」(村岡博訳)と言っている。At the magic touch of the beautiful the secret chordsが、すなわち「心の琴線にふれる」という意味である。

http://rose.zero.ad.jp/~zad70693/journal/nihonqin12.html

日本での初出(たぶんです)

「当時火の如かりし自由の理想を詠出し、永く民心の琴線に触れしめたる者あらず」(『抒情詩』序  独歩吟:国木田独歩

日本語大辞典(小学館)より

q.hatena.ne.jp

参照元とされているURLは現在リンク切れしているが、Wayback Machineから読むことができた。

https://web.archive.org/web/20040813101454/http://rose.zero.ad.jp/~zad70693/journal/nihonqin12.html

筆者は琴の演奏家として活動されている伏見靖氏(伏見无家の名でも活動されているようである)。「邦楽ジャーナル 2004、VOL.206 3月号より転載(補筆) 」とある。

同様の内容を含む文章はFacebookにも投稿されている。

また、「心の琴線にふれる」という現在でも日常会話に使われる言葉がありますが、これも伯牙と鍾子期の物語に由来しているものです。この言葉は日本にだけ使われているようで、初出はおそらく岡倉天心茶の本』によるのではないかと思われます。この中に「芸術鑑賞」という章があり、伯牙が弾ずる霊妙な琴の物語で天心は「我が心琴の神秘の絃はめざめ、我々はこれに呼応して振動し、肉を躍らせ血を湧かす。心は心と語る」(村岡博訳)と言っています。原文は英語です。At the magic touch of the beautiful, the secret chords of our being are awakened, we vibrate and thrill in response to its call. Mind speaks to mind. お互いに共鳴しあう心。これがすなわち「心の琴線にふれる」という意味で発展したのだろうと考えられます。

―賞琴一杯清茗― 第百回 琴について 其の八 琴式 | Facebook

 これを読む限り、「『琴線に触れる』列子由来説」はこの伏見无家氏が「発見」したことのようだ。

 さて、ここで妙なことに気付く。「原文は英語です。」?

 『茶の本』の著者は明治期の思想家、岡倉天心(本名は岡倉覚三)。著者は日本人だが、原文は英語で書かれている。「新渡戸稲造の『武士道』と並んで、明治期に日本人が英語で書いた著書として重要である。」らしい。
茶の本 - Wikipedia

上で引用されている翻訳は青空文庫から読める。
www.aozora.gr.jp

 従って、上記伏見靖氏の説は、『琴線に触れる』の日本語への定着について、かなり奇妙な経緯を仮定していることになる。

1. 周代中国(紀元前400年ごろ?) 『列子』成立。
2. 1906年 岡倉天心 The Book of Tea にて"At the magic touch of the beautiful, the secret chords of our being are awakened, we vibrate and thrill in response to its call. Mind speaks to mind. "と書く。
3. 1929年 『茶の本』村岡博訳出版。
4. 「「我が心琴の神秘の絃はめざめ…」から「琴線に触れる」が派生?

 その一方。『精選版 日本国語大辞典』には最古の用例として国木田独歩によるものが載っている(「人力検索はてな」の回答でも引用されている箇所)。

きん‐せん【琴線】

〘名〙
① 琴やバイオリンなど、弦楽器の糸。
吾輩は猫である(1905‐06)〈夏目漱石〉一一「つよく張った琴線の一部丈がきらきらと白く眼に映ります」
② (物事に感動する心情を琴の糸にたとえていう) 人間の心の奥深くにある感じやすい心情。感動し共鳴する心情。
※抒情詩(1897)独歩吟〈国木田独歩〉序「当時火の如かりし自由の理想を詠出し、永く民心の琴線に触れしめたる者あらず」

kotobank.jp

 1897年は既にThe Book of Tea原著出版から9年遡っている。

 ところで、英語には "strike(touch) a chord"というイディオムがある。

strike a chord :
If something strikes a chord, it causes people to approve of it or agree with it.

dictionary.cambridge.org

「ところで」もなにも、岡倉天心The Book of Teaで使っているのがこの表現である。では彼がこの表現の発明者かというとそんなはずはなく、"English Language & Usage Stack Exchange"上の以下のスレッド"What's the origin of “strike a chord with…”の回答が参考になる。

english.stackexchange.com

これによると、

  • 英語での文字通りの意味での"strike a chord"は、少なくとも18世紀前半まで遡る。音楽理論家ウィリアム・ホルダーによる、1731年の著作、A Treatise of the Natural Grounds, and Principles of Harmony(『自然の根拠と和音の原理に関する論文』)が引用されている。
  • 「感情的な反応を引き起こす」という意味での'strike a chord'の比喩的な用法は、1800年代初期に遡る。弦楽器で音を奏でるという文字通りの用法から派生していると考えられる。引用されている中で最古の例は1803年8月6日の週刊誌 Boston Weekly Magazineの"The Gossip"というコラム。
  • "heart-string"という語があるが、strike a chordとの関係は見つけられなかった。

などの事実が説明されている。日本での初出から1世紀近く遡っている。

 これらの根拠から、日本語としての「琴線に触れる」は、明治期に"strike(touch) a chord"が翻訳される中で生み出されていったものだというのが自然なように思われる。「『琴線に触れる』列子由来説」は誤りだろう。

 歴史的資料を正しく探す技能もなく、こうしてインターネットで簡単に検索可能な資料をあたることしかできないのだが、疑問に思ったため記事にした。しかし、インターネット上での現象としても、リファレンスなき「学説」が定着する様子が垣間見られて興味深い。

※もしこの問題に関連して他の文献等あれば、教えていただけるとありがたいです。