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人類を未知の世界に導く天体たち――グレッグ・イーガン"Perihelion Summer"&"The Slipway"

 今年2019年の前半、グレッグ・イーガンによる2つの中短編SFが続けて発表された。

 ひとつは、"Perihelion Summer"。Tor.comから4月16日に発売。

Perihelion Summer (English Edition)

Perihelion Summer (English Edition)

Perihelion Summer by Greg Egan | Tor.com Publishing

 もうひとつは、"The Slipway"。Analog誌7/8月号に掲載。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/5118ALM9BuL._SX341_BO1,204,203,200_.jpg
Story Excerpt | Analog Science Fiction

 どちらも現代(特にオーストラリアを中心として)が舞台・人類が初めて遭遇する天体現象*1が描かれるという共通点を持ちながら、物語の趣はかなり異なっている。それぞれ内容を紹介する。

Perihelion Summer

あらすじ

太陽の10分の1の質量をもつブラックホール:タラクシッポスが太陽系外から地球へ近付いてくる。地球への影響に関し楽観論が大勢を占めるなか、マットと3人の仲間たちは自ら作り上げたエネルギー・食糧等を自給自足可能な移動式水上施設、マンジェトに乗り込み、潮汐の変化を受けにくい安全な海上で最接近の日を迎えようとしていた。接近とともに明らかになるタラクシッポスの本当の姿。あるとき、それまでの予測を無に帰すような発見がなされ…。

 刊行当日のイーガンのツイート

 タイトルの意味は「近日点の夏」。

 現在の地球の近日点は1月で、冬の真っただ中である*2。タイトルから想像したストーリーはこうだった。ブラックホールの接近によって地球の軌道がほんの少しずれ、夏に近日点がやってくることになり*3、気候変動が引き起こされるが、見返りにブラックホールの理解が飛躍的に進む……。しかしこれは誤りだった。

 まず夏と冬のやってくる月が北半球と南半球で逆になるという当たり前の事実を無視している。舞台は専ら南半球。主人公はオーストラリアパースの出身(作者と同じ)で、ローカルな地名もたくさん出てくる。南半球ではもともと近日点が夏だが、ブラックホールの通過後、近日点に夏を迎えることが破滅的な効果を生じさせるようになる。「地球の軌道がほんの少しずれ」るというのは確かに正しかった。しかし引き起こされる気候変動が生易しいものではなかった。

 物語は3つのパートに分かれる。パート1が「タラクシッポス以前」でパート2、3は「タラクシッポス以後」。時間的には数か月しか進んでいないが、パート1と2の間で地球は大きく変わってしまう。

 パート1中盤、3度目の重力レンズ効果が観測される。この時点ですでに太陽系内には侵入してきている。これがブラックホールの怖いところで、光学的に観測するためには背景のある程度明るい星と地球を結ぶ視線上を通過しなくてはならないため、なかなか見えないということらしい。

 この3度目に観測されたアインシュタイン・リング(重力レンズ効果を受けた星が描く弧状の光)はこれまでの2度の観測から予測されるものとは大きく異なる数値を示していた。以前より近付いてきているはずなのに、なかなか視直径が大きくならないのだ。

 重力レンズ効果によって観測されるよりずっと前、土星天王星の軌道に、標準的な太陽系のモデルから計算される軌道とのずれが観測されていた。長らく仮説上の存在とされてきた海王星以遠の惑星(trans-Neptunian planet)の影響かと目されるも、それではうまく説明できない。観測が進んだ結果、10分の1太陽質量の「小さな」ブラックホールが接近していることが明らかになった…というのが、時系列的にこの物語が始まる前の出来事。このブラックホールに与えられた名前、タラクシッポス(Taraxippus, Ταράξιππος)は、ギリシャ神話に登場する霊的存在で、「馬を惑わせるもの」の意味。太陽系の惑星が「馬」ということで、馬たちが惑わされている。うまいネーミング*4

参考:
プラネット・ナイン - Wikipedia
Taraxippus - Wikipedia

 おそらく質量と速度は大雑把に判明していて、光学的観測によって軌道が確定されようとしていた途上の出来事。予測が正しければもっと大きく見えなくてはならない。有効な説明はひとつしかなかった。ブラックホールは2つある。ここがいかにもディザスタードラマの幕開けっぽくて良い。


これは2018年12月の刊行予告時のツイートについたスレッド。

「質量の小ささを不思議に思う―原始ブラックホール?:o」に対してイーガン「ええ、私の知る限り、こんな小さな質量を獲得するにはその方法しかない。」

 原始ブラックホールはビッグバンの直後にできたと考えられている、仮説上の小質量のブラックホール。作中でもこのことに関して言及があり、原始ブラックホールについて人類が何も知らないことが、この不意打ちの原因のひとつとみなされていた。

 結局当初の予測は全て書き換えられることになる。新たな予測では3月半ばに地球-太陽距離(1天文単位:約1.5億km)の約半分までの距離に2つが最接近し、潮汐力の影響は災害を引き起こすほどではないものの、公転軌道を大きく変えてしまうことが判明する。新たな軌道では6月はこれまでより10%太陽から遠く、12月は7%近いところを通過するようになる。

 この数値設定がいやらしい。作中で登場人物がシュテファン・ボルツマン則を使った概算をしているが、6月は10度寒く、12月は15度ほど暑くなるとされている。悪質な南半球いじめである。通過直後(南半球は秋)の影響の小ささにほっとして留まっていると吹雪の冬を迎えることになり、その半年後、燃え盛る夏の太陽を浴びることになる。

 パート2以降、顕在化するタラクシッポスの影響から逃れるため、主人公マットたちはマンジェトに乗り込み仲間を増やしながら、艦隊を作って移動生活を送ることになる。ブラックホールはすでに通過し、「タラクシッポス以後」の最初の1年から生き延びる道を探っていく。大きな脅威が近付いてくる、「SFらしい」緊張感の漂うパート1に比べると少々退屈ではあるものの、じりじりと人類文明が予測不可能な未来に突入していく様子を、一人の人物の視点から描いたのは、物語の構成として誠実であるように思った。なお、分量で言うと4分の3が「タラクシッポス以後」にあたる。

 ニール・F・カミンズ『もしも月がなかったら』What If the Moon Didn't Exist?、同『もしも月が2つあったなら』What If the Earth Had Two Moons?という本がある。「もしも月がなかったら」、「もしも月が地球にもっと近かったら」、「もしも地軸が天王星のように傾いていたら」…などの天文学上の小さな変更を地球に加えることで、生命の在り方がどう変わりうるか、想像がめぐらされている。この形式でいうと、Perihelion Summerは「もしも地球の公転軌道の離心率がもっと大きかったら」What if the Earth's Orbital Eccentricity was greater? になるかもしれない。

もしも月がなかったら―ありえたかもしれない地球への10の旅

もしも月がなかったら―ありえたかもしれない地球への10の旅

 ところでこの作品、版元Tor.comの新刊告知記事でイーガンはこんなことを言っている。

www.tor.com

In October 2017, when I started writing Perihelion Summer, I’d already been thinking about the plot for a while, but one question still lingered at the back of my mind: would readers suspend disbelief in a story where an object from interstellar space enters the solar system purely by chance? On a scale that’s measured in light years, even the orbit of Jupiter makes a very small target. But then, three weeks into the writing, an extraordinary event hit the news: the first interstellar visitor ever observed, now known as “Oumuamua,” had just passed within 24 million kilometres of the Earth: six times closer to us than the sun! Taraxippus in Perihelion Summer is a very different kind of object—but the void had begun to seem a lot more crowded.
(訳)
2017年10月、Perihelion Summerの執筆を始めたとき、プロットについて考えはじめて既にしばらく経っていたが、一つの疑問が頭から離れなかった:ただの偶然によって恒星間空間からやってきた物体がやってくるという部分について、読者は納得してくれるだろうか? 光年単位ではかると、木星軌道でさえ的としては非常に小さいのだ。しかし、書きはじめてから3週間経ったとき、とんでもないニュースが飛び込んできた:観測史上初めての恒星間空間からの来訪者、今ではオウムアムアと知られているそれが、地球から2400万km以内を通過したというのだ:太陽より6倍も近い! Perihelion Summerのタラクシッポスはまったく異なった種類の天体だが―宇宙空間はもっと混みあっているように感じはじめた。

 作中にもこれを踏まえた台詞がある。

Jožka said, “I used to think the solar system was too small a target for anything to hit by chance.”
“Until Taraxippus?” Aaron assumed.
“No, until 'Oumuamua in 2017. That passed within twenty-four million kilometers of the Earth. One sixth the distance to the sun.
Aaron grunted with surprise; maybe he'd missed the news at the time.
(訳)
ヨシュカは言った。「太陽系は何かが偶然ぶつかってくるにはあまりにも小さすぎると考えていたんだ。」
「タラクシッポスがやってくるまで?」とアーロン。
「いいや、2017年のオウムアムアまで。地球から2400万km以内を通過した。太陽までの距離の6分の1だ。」
アーロンは驚きとともに唸った;たぶん彼はそのニュースを当時見逃していたのだろう。

The next lensing came in the early afternoon, spotted first in Chile. The mound of uncertainty shrank a little more, almost ruling out a direct hit on the Earth. An actual collision had always been stupendously unlikely, but now that it lingered on the margins Matt couldn't help feeling a compulsive need to see it decisively ruled out. Never mind that it would have been mercifully swift compared to the prolonged agony of any kind of near miss; the idea offended his whole sense of how the universe should work. If ’Oumuamua and its successors had made the solar system seem more like a full-sized dartboard than the eye of a needle, the Earth itself was still orders of magnitude smaller, to the point where a bull's-eye could only imply either comic-book aliens using black holes as weapons--behavior so cheesy it would be embarrassing to share the galaxy with them—or the cruelest of coincidences for an event so improbable to befall, not a barren planet, but one bearing life.
(訳)
次のレンズ現象は午後早くに始まり、チリで最初に観測された。不確実性の山はやや縮小し、地球への直撃の可能性はほぼ除外された。真の衝突は常にほとんど全くありそうなことではなかったが、事ここに至っては、その見込みが確実になくなるところを見届ける必要があるという強迫観念にマットがとらわれてしまう程度には、可能性はしぶとく残されていた。他のあらゆる種類のニアミスがもたらす長い苦痛に比べると、それが慈悲深くも速やかであることは言うまでもない;そんな考え方は、宇宙はどのように動いているかという彼の信念とは相いれないものではあったが。もしオウムアムアとその後続によって、太陽系が針の穴というよりは大きなダーツボードのようなものに見えるようになったとしても、地球は依然数桁も小さく、命中するとすれば漫画の中のエイリアンがブラックホールを武器として使用―同じ銀河系にいることが恥ずかしくなるような粗悪な行いだが―したか、不毛の惑星ではなく生命を擁する惑星に降りかかるという全くありえないほど残酷な偶然ということになるだろう。

オウムアムア (恒星間天体) - Wikipedia

https://cdn.eso.org/images/screen/eso1737a.jpg
https://www.eso.org/public/images/eso1737a/


 オウムアムアは実在の天体。アーロンでなければ、舞い込んでくるニュースを追ったことだろう。オウムアムアは確かにそういうインパクトを持っていた。太陽系外から地球の近くまで、これまで漠然と想像されていたよりは意外に頻繁に何かがやってきているのではないかと思わせるような。タラクシッポスは「オウムアムア以前」にはなかった説得力を、あの出来事によって獲得している。Perihelion Summerは「オウムアムア以後」の宇宙SFとしての性格も備えているようだ。

 こういった同時代性というか、今だからこそ書けるのだなと思える要素は他にもあって、TwitterRedditのような実在のウェブサービスの名前は出てくるし、マンジェト内の生簀でスギ(cobia)に餌として与えるために育てられているハエはCRISPRで遺伝子改変がなされている(たぶん栄養バランスがお魚向けに調整されているのだろう)。マットたちの世界と我々の世界との間には、タラクシッポスがあるかないかの差しかない。この世界を宇宙SFに転じさせてしまうような脅威が宇宙には満ちている…。


The Slipway

あらすじ

ニュージーランドの農村部で、あるアマチュア天体観測家がいつものように夜空に双眼鏡を向けると、それまで存在していなかった未知の光源を発見する。それは一つの天体ではなく、数十の星が密集した円状の小領域であった。速報を受け、オーストラリア国立大学の研究者ファティマは、研究員のガブリエルとともに天文台の望遠鏡で観測を始める。領域は拡大していた。やがて人々が<窓枠>と呼ぶようになったそれは、従来理論的に考えられてきたようなワームホールとは違っていた。ふたりは観測とその結果を説明できる新たなモデルの構築を進め、少しずつ真実に迫っていく。

 既に説明した通り、こちらもPerihelion Summerと同じく現代が舞台*5で、人類が初めて遭遇する天文現象がテーマとなっている。ただし、タラクシッポスとは逆に、The Slipwayに登場する<窓枠>the Paneは人類の文明に何の危害も加えない。というか、<窓枠>が空に現れる以外には劇的なイベントは何も起こらない。少しずつ付け加わっていくヒントをもとに<窓枠>の謎を解くことこそが、この短編の目的となっている。

 この作品にテーマがあるとすれば、「現代の観測機器だけでその性質を調べることができて、しかも人類にタイムトラベルの手段を与えてしまわないような、これまで想像されてきたものとは違ったタイプの『ワームホール』的なアノマリーがあるとすれば、どういうものになるか?」といったあたりだろう。付け加えると、主人公ファティマの専門は系外惑星で、一般相対性理論の専門家ではない。従ってこの謎解きには必ずしも曲がった時空の理論を理解している必要がない。

 主人公ファティマは最初から<窓枠>はこれまで考えられてきたようなワームホールの口ではないだろうと疑っている。ワームホールからはタイムマシンが作れてしまうが、それは彼女の信念とは相容れない、と。それだけではなく、観測に基づく根拠もあって、従来の理論で記述できるようなタイプのワームホールの口が地球に近づいてくることで拡大しているように見えるとすれば、単に元の背景を覆い隠しつつ穴が開いていくようには見えないだろうとしている。

 この伝統的なタイプのワームホールならどう見えるべきか、という部分が分かりにくかったが、ごく単純なタイプのワームホール(球状の入り口-出口を繋ぐ)があればどういう風に見えるか、という解説を、本作The Slipwayの刊行に際してイーガン自身が書いている。
theastoundinganalogcompanion.com

(元となったその1年近く前のツイート)

 テレビ番組に出演した「ニューヨークからやってきた著名な弦理論の研究者」が<窓枠>は銀河を横断するワームホールのネットワークの入り口であると熱弁する姿に、主人公が冷ややかな視線を向ける場面があったりする。この研究者というのはどう見てもミチオ・カクである。言ってみれば安直なSF的舞台仕掛けとしてのワームホールではないことを、ここで強調しているのだろう。

 タイトルの"slipway"は、船を水面へ出し入れするため港に設けられる傾斜*6。ファティマが<窓枠>に関する観測結果を説明するために提唱する最終的なモデルでは、<窓枠>を含むアノマリー全体にこの名が付けられる。

 "Perihelion Summer"のタラクシッポス、『宇宙消失』の<バブル>、『ディアスポラ』の「トカゲの心臓」…等と違って、スリップウェイは文明社会のありかたには直接影響を及ぼさない。人工物であろうとなかろうと、宇宙に今まで見たことがないものが現れればそれだけで面白いドラマになるということだろう。サイエンスのアイデアと作品の中でその謎を解くための代理人を揃えて、不必要に背景を拡げないところはSFとしてはある意味ストイックでもある。


余談

Perihelion SummerにもThe Slipwayにも、そしてついでに"THE VIEW THROUGH A WORMHOLE"にも「オズの魔法使い」から引っ張ってきた表現があって気になる。

"Hiding in the storm cellar with Aunt Em won't save them."--Perihelion Summer

Aunt Em : エムおばさん。Storm cellerは嵐から避難するための地下室。エムおばさんの家は嵐で吹き飛ばされてしまうらしい。

“We’re probably not in Kansas any more"--The Slipway

カンザスから魔法の国へやってきたドロシーの台詞から。慣れ親しんだ土地ではないことにショックを受けたときに使うフレーズとして定着しているらしい。

"Will it be like staring at a spherical TV screen, showing a broadcast from Andromeda? Like gazing into the crystal ball from The Wizard of Oz?"--"THE VIEW THROUGH A WORMHOLE"

テレビのように映像が映る水晶球が「オズの魔法使い」にも出てくるらしい。

何なんだろう。

*1:Slipwayのほうは「天体」とは呼べないかもしれないが。

*2:国立天文台 天象

*3:ブラックホールがやってこなくても近日点は移動している。他の惑星、特に大質量かつ近くにいる木星の影響。 暦Wiki/近日点の移動 - 国立天文台暦計算室

*4:ちなみにマンジェトMandjet)はエジプト神話に出てくる「太陽の船」。太陽の化身ラーが乗り込んで空を渡ることで地上を照らすとされる。 Atet - Wikipedia

*5:ただしジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が稼働しているので数年先の未来

*6:たまたま『ハローサマー、グッドバイ』を読んでいたら「船架」に「スリップウェイ」とルビを振っている箇所があった。