Shironetsu Blog

@shironetsuのブログ

2+2次元Dirac方程式と確率解釈 ― Dichronautsよんでる

 グレッグ・イーガンDichronautsをよんでいます. やっとあらすじにある暗黒断崖が出てきた. ElenaとIrinaの間の軋轢, Sleepwalkerの騒ぎなどからSider-Walker間の必ずしもうまくいくとは限らない緊張をはらんだ関係が最初のほうで既に明かされていたが, Thantonという都市でSethとTheoはもっと不気味な実例と出会うことになった. このあたりが本書の含むある種政治的なテーマだろうか. ヒト世界には対応物がないけど.

 しばしば感じられるのは, 基本的にSiderのほうが自制があって賢明で, のみならず彼ら独自の「言語」を持っているためホストのWalkerは彼らに従属しているかのようであること. 両者の一見対等な知能はパラサイト側の誘発で獲得されたものなのかも. 『地球の長い午後』を思い出したり.

Dichronauts (English Edition)

Dichronauts (English Edition)

 さて前の記事で「ディラック表現から『非相対論近似』をすることも可能だがそこから特に言えることがあるわけでもない.」と言っていた.
2+2次元Dirac方程式―Dichronautsをよみはじめた - Shironetsu Blog
 ひどい浅慮だ. 実は2+1次元空間のスピノルに関するSchrödinger - Pauli方程式相当の近似式を導くと奇妙なことが明らかになる.

 前の記事で述べた通り, 相対論的カレントの時間成分は2+2次元(と4+0次元)においては3+1次元と異なり正負の値をとりうる. 2+2次元ではこれに加えて, 非相対論近似でもなおスピンの効果を含めると確率が正負の値になる. これは4+0次元では起こらなかった. というのも, 4+0と3+1ではいずれも空間3次元に関しては等価でそのスピンは回転に対してSU(2)で変換して, それが作るスカラーは標準Hermite内積によるノルムになるため.

 翻って2+1次元空間のスピノルはSL(2,R)で変換するためそれが作るスカラーは正定値にはならない. UpとDown(NorthとSouth?)が時間変化で入れ替わるならスカラーの大きさも正負に振れ, それは"確率"が正負に切り替わることを意味する.

 ここに確率解釈の困難が現れる……と思う. これを知る前, 素朴にSchrödinger方程式で直交曲線座標で「水素原子」を解く方法を考えていた*1が, カレントの時間成分と波動関数の絶対値がちゃんと対応するか気になって計算するとこの問題に突き当たった.

 これらの事実を以下で確認していく.



Dirac表現

 前の記事で扱ったのはカイラル表現(Weyl表現)のみだった. ユニタリ変換でガンマ行列をDirac表現に変換する. 目的は{\gamma^t}の対角化である.

 再度カイラル表現のガンマ行列を書いておく. ただし下添え字WでDirac表現と区別する.

{
 \gamma^t_W=\sigma_1\otimes{\bf 1}_2,\ \ \ \gamma^u_W=(i\sigma_2)\otimes(i\sigma_3),\ \ \ 
 \gamma^x_W=i\sigma_2\otimes\sigma_1,\ \ \ \gamma^y_W=i\sigma_2\otimes\sigma_2
}

 計算は省くが({\sigma_1}を対角化するだけ), 以下のユニタリ行列Uを使う.

{
 U=\frac{1}{\sqrt{2}}({\bf 1}_2+i\sigma_2)\otimes {\bf 1}_2,\ \ \ U^{-1}=U^\dagger=\frac{1}{\sqrt{2}}({\bf 1}_2-i\sigma_2)\otimes {\bf 1}_2
}

これによって,
{
\begin{gather}
 \gamma_D^\mu=U\gamma^\mu_WU^\dagger \\
 \gamma_D^t=\sigma_3\otimes{\bf 1}_2,\ \ \ \gamma^u_D=(i\sigma_2)\otimes(i\sigma_3), \ \ \ \gamma_D^x=i\sigma_2\otimes\sigma_1,\ \ \  \gamma_D^y=i\sigma_2\otimes\sigma_2
\end{gather}
}

Dirac表現に移る. 同時にスピノルは

{
\varPsi_D=U\varPsi_W=\frac{1}{\sqrt{2}}\left(\begin{array}{c}
\psi_L+\psi_R\\
 -\psi_L+\psi_R
\end{array}\right)
}
と変換されている.



平面波解

 Dirac表現を使って平面波解を考える. 以下Dirac表現のみを使うため下添え字Dは省略.

{
\varPsi = e^{-ik_\mu x^\mu}\varPsi_0
}

ただし{\varPsi_0}は位置に依存しない定数. これをDirac方程式に代入すると,

{
(k_\mu\gamma^\mu-m)\varPsi_0=0
}

ここで

{
\sigma^x=\sigma_1,\ \ \ \sigma^y=\sigma_2,\ \ \ \sigma^u=i\sigma_3\\
}

と定義する. これらはClifford代数の関係式に従う. すなわち

{
\begin{gather}
\{\sigma^i,\sigma^j\}=-2g^{ij}{\bf 1}_2\\
(g^{ij})={\rm diag}(-,-,+)={\rm diag}(g^{xx},g^{yy},g^{uu})
\end{gather}
}

また, 交換関係は

{
  \lbrack \sigma^i,\sigma^j \rbrack =2\epsilon^{ijk}g_{kl}\sigma^l
}

と表せる. {\epsilon^{ijk}}は添え字{(ijk)}{(xyu)}の偶置換のとき+1,奇置換のとき-1, それ以外のとき0. Pauli行列の場合との違いに注意.

話を戻し, さらに{\varPsi_0}を上下2成分ずつ{\varphi,\chi}に分割すると次のように書ける.

{\begin{gather}
\left(\begin{array}{cc}
k_t-m&k_i\sigma^i\\
 -k_i\sigma^i&-k_t-m
\end{array}\right)
\left(\begin{array}{c}
\varphi\\
\chi
\end{array}\right)
=
\left(\begin{array}{c}
0\\
0
\end{array}\right)\\
\varphi=\frac{-k_i\sigma^i}{k_t-m}\chi,\ \ \ \chi=\frac{-k_i\sigma^i}{k_t+m}\varphi
\end{gather}
}

ただし空間成分{i=(x,y,u)}に渡って和をとる. これを使うと,

{
\varphi=\frac{k_x^2+k_y^2-k_u^2}{k_t^2-m^2}\varphi
}

から,

{
k_t^2+k_u^2-k_x^2-k_y^2=m^2
}

が満たされる必要があることが分かる.{k_t=E,\ k_i=p_i}と改めて書くと,

{
E=\pm\sqrt{m^2+p_x^2+p_y^2-p_u^2}
}

これが満たされているとき, 解は上の関係で結ばれる任意の{\varphi,\chi}を用いて

{
\begin{align}
\varPsi=\left(\begin{array}{c}
\varphi \\
\frac{-p_i\sigma^i}{E+m}\varphi
\end{array}\right)
 =\left(\begin{array}{c}
\frac{-p_i\sigma^i}{E-m}\chi \\
\chi
\end{array}\right)
\end{align}
}

と表される. 運動量の大きさ{p_x^2+p_y^2-p_u^2}が十分小さいとき{E\sim \pm m}である. 正のとき上2成分が卓越して正エネルギー解:粒子, 負のとき下2成分が卓越して負エネルギー解:反粒子と解釈できる.



電磁相互作用

 ベクトルポテンシャルAが存在するとき, 方程式は

{
(i\partial_\mu\gamma^\mu-eA_\mu\gamma^\mu-m)\varPsi=0
}

と書きかわる*2. 再び上下2成分ずつ{\varphi,\chi}を用いて(ただし今度は位置に依存)

{
\begin{align}
\varPsi=e^{-imt}\left(\begin{array}{c}
\varphi\\
\chi
\end{array}\right)
\end{align}
}

と書く. これを用いると,

{
\begin{gather}
(i\partial_t-eA_t)\varphi+(i\partial_i-eA_i)\sigma^i\chi=0\\
 -(i\partial_i-eA_i)\sigma^i\varphi-(i\partial_t-eA_t)\chi-2m\chi=0
\end{gather}
}

第2式を使って

{
\begin{align}
(i\partial_t-eA_t)\varphi
 &=\frac{1}{2m}(i\partial_i-eA_i)(i\partial_j-eA_j)\sigma^i\sigma^j\varphi+\frac{1}{2m}(i\partial_i-eA_i)\sigma^i(i\partial_t-eA_t)\chi\\
 &=\frac{1}{2m}(i\partial_i-eA_i)(i\partial_j-eA_j)\sigma^i\sigma^j\varphi+\frac{1}{2m}\left\{(i\partial_t-eA_t)(i\partial_i-eA_i)-ie(\partial_iA_t-\partial_tA_i)\right\}\sigma^i\chi\\
 &=\frac{1}{2m}(i\partial_i-eA_i)(i\partial_j-eA_j)\sigma^i\sigma^j\varphi
 -\frac{1}{2m}(i\partial_t-eA_t)^2\varphi-\frac{ie}{2m}(\partial_iA_t-\partial_tA_i)\sigma^i\chi
\end{align}
}

ここまで展開したが, 反粒子成分は小さく, また, 十分低速で時間部分の演算子が2回かかる項は無視できるとする. これにより後ろ2項は落ちて,

{
\begin{align}
(i\partial_t-eA_t)\varphi&=\frac{1}{2m}\left(-g^{ij}(i\partial_i-eA_i)(i\partial_j-eA_j)+\epsilon^{ijk}g_{kl}\sigma^l(-ie\partial_iA_j)\right)\varphi\\
 &=\frac{1}{2m}\left(-g^{ij}(i\partial_i-eA_i)(i\partial_j-eA_j)
 -\frac{ie}{2}g_{kl}\epsilon^{ijk}(\partial_iA_j-\partial_jA_i)\sigma^l
\right)\varphi
\end{align}
}

{A_t=-\phi,\ \pi_i=-(i\partial_i-eA_i),\ B^k=\epsilon^{ijk}\partial_iA_j}と表記すると*3,

{
\begin{align}
i\partial_t\varphi&=\left(-\frac{\pi_i\pi^i}{2m}-e\phi-\frac{ie}{2m}B_i\sigma^i\right)\varphi
\end{align}
}

を得る.これが求めるべきものだった. 2+1次元のSchrödinger - Pauli方程式である. 形を見ればわかる通り, 右辺第3項によって{\varphi}の上下の成分が時間変化で混ざる.

 と簡単に書いたがHamiltonianがHermiteになっていないことにすぐ気付く. というのも{\sigma^x,\ \sigma^y}がHermiteなのにそれらに虚数単位がかかっているため. また, そのせいでxy軸方向の磁場がかかっている系で{\varphi}の成分が発散してしまう.



確率

 そもそも, 確率とみなしたい{|\psi|^2}が座標系に依存するのだ. {\psi}が2+1次元のスピノルであるためこれは当然のことではある.

 Dirac共役がHermite共役そのものではなく右から{\gamma^t}を掛けなくてはならなかったように, 2+1次元での共役スピノルはHermite共役に{-i\sigma^u=\sigma_3}を右からかけなくてはならない*4. こうすることで共役と元のスピノルの積は座標変換に対する不変性が保たれる.

 これを成分で見ると,

{
\begin{gather}
\varphi=\left(\begin{array}{c}
\alpha\\
\beta
\end{array}\right)\\
\overline{\varphi}=\varphi^\dagger\sigma_3\\
\overline{\varphi}\varphi=|\alpha|^2-|\beta|^2
\end{gather}
}

から, ちょうどアップスピンの大きさの2乗からダウンスピンの大きさの2乗を引いた形になることが分かる*5.

 これは2+2次元カレントの時間成分とも近似的に一致している. 前の記事で導入した{\eta}は, Dirac表現でも

{
\eta_D=i\gamma_D^x\gamma_D^y={\bf 1}_2\otimes\sigma_3
}

であり, カレントの時間成分は

{
\varPsi_D^\dagger \eta_D\gamma^t\varPsi=\varphi^\dagger\sigma_3\varphi-\chi^\dagger\sigma_3\chi\simeq\varphi^\dagger\sigma_3\varphi
}

と同じ形になる.



まとめ

 2+2次元においてもDirac表現を用いたDirac方程式の解から粒子, 反粒子とみなせる解が導かれる. これをもとに, 低エネルギーの非相対論極限として2+1次元のSchrödinger - Pauli方程式が得られるが, そのHamilitonianはHermiteになっていない. そもそも2+1次元の2成分スピノルのノルムの2乗は座標不変な値ではなく, 正しく得られるスカラーは正定値にならない. よって2成分スピノルを考える限り非相対論的極限でもなお確率解釈は正当化されない.

 ただ, Orthogonal宇宙で反粒子状態をオミットすることで確率解釈が可能になるように, たとえばスピンがアップダウンに振れないなら, 単純にスカラー波動関数を考えるだけで済むようになって確率密度の正定置性は保たれるかも……どういう状況だろう?軸方向に強い磁場がかかっていてスピンの向きが揃っているとか?

 イーガン自身明らかに, 我々の宇宙の物理法則をわずかな変更を加えただけでそのまま適用したときに生じる問題を認識していて, あえて気にしないことにしておもしろい幾何学的帰結にだけ集中することにしているはず. そのために物語の本筋に関わらない深く突っ込んだ計算は公開していないのだろう. しかしイーガンの辿ったはずの道を再現してみるのも楽しい. Dichronautsを読むのには関係なくても.



参考
 以前『エターナル・フレイム』の計算をした時にも参考にさせていただいたページ.

「4+0次元時空間のディラック方程式について」
http://kuiperbelt.la.coocan.jp/sf/egan/orthogonal/dirac-orthogonal.html

*1:「球対称」;中心からの距離が一定の双曲面上で値が同じ波動関数は明らかに規格化できない. 「球殻」;ふたつの双曲面に挟まれた領域の体積が無限大になるため. ひょっとするとCoulomb散乱の問題で使うタイプの座標変換なら……と考えてみたものの, 規格化の問題で依然として混乱. 結局解決していない.

*2:電荷は(-e). 古典論でのHamiltonianの置き換えを援用するというのもやや正当化するのがめんどくさそう(というか2+2次元の古典論について検討していない)なので, 単に共変性を保つ最も簡単な変更と考えればいいはず. あるいはLagrangian経由か.

*3:この定義によって2+1次元回転のもとでBは擬ベクトルとしてふるまう.

*4:座標変換に応じてスピンを変化させるスピン群の行列との関係について述べる必要がある. Hermite共役に右からかければ逆行列になるような行列は何か, という問題になるが, だいたい3+1次元でDirac共役を考えた場合と並行なので略.

*5:ちなみに4+0次元でのカレントの時間成分は|粒子|^2-|反粒子|^2と書ける. Orthogonal宇宙で確率解釈が正当化できるのは粒子の状態が卓越するときこれが正の値をとるから, ということだろうか.