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ホタルの名前はノクチルカ――夜光虫命名小史

ノクチルは夜光虫

アイドルマスターシャイニーカラーズ」(シャニマス)に登場する幼馴染4人組ユニット「ノクチル」。2020年3月22日の公式配信で公開され、そのユニット名の由来が蛍光を発するプランクトン、夜光虫(ヤコウチュウ)の学名 Noctiluca scintillans(ノクチルカ・シンチランス)だろう、ということは、ファンの間ではすぐに気付かれていた。

証拠のひとつが、過去に作中で夜光虫が登場していたこと。ノクチルの登場から遡ること約半年、イベントストーリー「サマー・ミーツ・ワンダーランド」のあるシーン。発光する海面を山頂から眺めた芹沢あさひが、その正体について、あとで夜光虫だと知る*1

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サマー・ミーツ・ワンダーランド第6話「銀河の冒険」

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サマー・ミーツ・ワンダーランド エンディング 「夏休みの秘密」

さらに、「イルミネーションスターズ」や「ストレイライト」をはじめ、「光」を名前の由来にもつユニットが既に登場していたことも裏付けとなっていた。

普通こういうのはしばらくの間「ファンによる考察」に留まるもののように思われるが、ノクチルのユニット名の由来に関しては、かなり早い段階で制作側から明言されている。以下は2020年5月17日に公開されたインタビュー。答えている高山祐介氏はシャニマスの制作プロデューサー。

――2周年で大きな話題となったのが、新ユニット“ノクチル”です。まずはユニットのコンセプトを教えていただけますでしょうか?

高山コンセプトは、ユニットの説明文にもあるように“透明感”、それから“爽やかさ”を意識しています。ビジュアル的には、光が届かないような深い海から浮上していって、顔を出したときの鮮烈な白い光と、その後に広がるブルー……という爽やかな光景をイメージしてさまざまな設定をしていますね。

坂上初めて名前を聞いたときは、聞き慣れない言葉で「のくちる?」と驚きました(笑)。その名前自体に反対することはありませんでしたが、プロデューサーの皆さんに対して、どうしてそういう名前なのかという由来をしっかり説明したほうがいいよ、ということは高山に言いましたね。

高山じつは“夜光虫”を意味する“ノクチルカ(Noctiluca)”をもじった造語なんですよ。プロデューサーたちも発表以降、由来をあれこれ予想してくれていましたね。

『シャニマス』坂上陽三氏&高山祐介氏インタビュー。283プロが迎える新たな1年とは? - ファミ通.com(文中の強調は筆者による)

したがって「ノクチルというユニット名の由来」に関しては話がここで尽きている。ところが、"Noctiluca"についてもう少し深く探っていくと、おもしろいことが分かってくる。

下の画像はある本の一ページである。ここの枠線で囲った箇所に"Noctiluca"の名が見える。"ct"の部分は合字(リガチャ)されて上部が繋がっていることに注意。

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Systema Naturae, 10th edition, p.400.(枠線は筆者)

Details - Caroli Linnaei...Systema naturae per regna tria naturae :secundum classes, ordines, genera, species, cum characteribus, differentiis, synonymis, locis. - Biodiversity Heritage Library

"Noctiluca" の名の用例としては非常に古い。出版は1758年、実に今から250年以上もの過去に遡る。記述に用いられている言語も英語ではない。当時の西洋世界で書かれた学術的文献の常として、ラテン語が使われている。

では、ここで述べられている "Noctiluca" が夜光虫かというと、実はそうではない。この "Noctiluca" は、現在では Lampyris noctiluca (ラムピリス・ノクチルカ)の名で呼ばれるホタルの一種なのだ。そして、この時代にはまだ夜光虫の存在が知られていない。海面の発光現象は古来より観察されていたが、それが微小な生物によるものだと知られるのは、もう少し時代が下ってからのこと(後述)。つまり"Noctiluca"は、夜光虫にその名が与えられる以前にホタルの名前だったのだ。

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天塵 第3話「アンプラグド」

リンネの二名法

ここで少し基本的な事柄について。

ある生物をその種の名前で呼ぶとき、日常的な語は多くの場合曖昧さを含んでいる。たとえば、「ハト」といえば街中で見かけるドバトを多くの人は想像するはずだが、「ハト」の名で呼ぶことができる種は実際にはドバト以外にも数多く存在する。いまドバトといったが、カワラバトと呼んでもほとんど同じ対象を指す*2。国内なら人によってはキジバトアオバトなどを指すこともあるだろう。ちなみに櫻木真乃の飼っているピーちゃんはギンバトで、これはジュズカケバトの白変した一品種らしい。

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くもりガラスの銀曜日 第1話「食パンとベーコン」

ジュズカケバト - Wikipedia

また、言語ごとに呼び名が変わるのも困る。英語ではハトはpigeonやdoveだし、グーグル翻訳に突っ込むとドイツ語ではTaube、ロシア語ではголубь、ペルシャ語ではکبوتر……と数限りない。同じ日本語でも、漢字だと鳩、カタカナだとハトになり、文字として表されるバリエーションはもっと増える。

この曖昧さは、生物を科学的に扱うとき、とりわけ種の分類を行うとき、非常に問題になる。そこで、ある生物を一意な名前で呼ぶために発明されたのが二名法である。

二名法では、あらゆる生物は属名 (genus)+種小名(species) という、二つの文字列の組み合わせで表される。

Columbalivia
属名種小名

たとえば、ドバトの学名は Columba livia という。Columbaが属名でliviaが種小名。上で触れたほかのハトたちも含めた学名は以下のようになっている。

和名学名
カワラバトColumba livia
キジバトStreptopelia orientalis
ジュズカケバトStreptopelia risoria
アオバトTreron sieboldii

キジバトとジュズカケバトの属名 Streptopelia は一致しているが、これは両種が他2つより互いに近縁であることを意味している。このように属名が一致することは普通だし、種名が一致することもある。ある種の属名と別の種の種名が一致する(ただし属名は頭文字が大文字(タイトルケース)で種小名は全て小文字)こともあって、夜光虫 Noctiluca scintillans と上で登場したホタル Lampyris noctiluca の組がそれにあたる。

しかし、一つの種に異なる二つの学名が付けられることはなく、逆に二つの異なる種に属名と種小名ともに一致する同一の学名が付けられることも決してない。「二つの文字列」といっても漢字やキリル文字を使っていいわけではなく、専らラテン語の規則に従っていなくてはならない。斜体(イタリック)を使っているのも重要で、学名は地の文とは違ったスタイルで書くことが要請される。その他いろいろ規則が定められていて、動物、植物、細菌でそれぞれ厳格に命名規約が定められている。

学名 - Wikipedia

ちなみに、先日実装された樋口円香のカード【ギンコ・ビローバ】はイチョウの学名 Ginkgo biloba から来ている。

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【ギンコ・ビローバ】樋口円香(筆者は天井で入手した)

さて、ここで少し国際動物命名規約を覗いてみよう。日本分類学連合によって、国際動物命名規約第4版の日本語訳が無料公開されている。

国際動物命名規約 第4版 日本語版 - 日本分類学会連合

その中の章1, 条3. に以下の文言がある。

章1. 動物命名法

条3. 起点. 1758年1月1日を, 動物命名法の起点の日付として, 本規約において専断的に定める.

  • 3.1. 1758年に公表された著作物と学名. 次の2つの著作物を, 1758年1月1日に公表されたものと見なす.
    • Linnaeusの『Systema Naturae』第10版.
    • Clerkの『Aranei Svecici』.
     後者の中の学名は前者の中の学名に対し優先権をもつ. しかし, 1758年に出版された他のいかなる著作物も『Systema Naturae』第10版よりも後に公表されたと見なす.
  • 3.2. 1758年よりも前に公表された学名, 行為, および情報. 1758年1月1日よりも前に公表されたいかなる学名も命名法的行為も, 動物命名法に入らない. しかし, その日付よりも前に公表された情報(記載や描画など)は, 利用し得る(1757年よりも後に公表されたが命名法の目的のために審議会が抑制した著作物の中の学名, 行為, および情報の地位については, 条8.7.1を見よ).

早い話が、1758年に出版された「Linnaeusの『Systema Naturae』第10版.」を学名による命名の起点とする、ということ(2冊目の『Aranei Svecici』はクモの分類に関する本だが、このあたり詳しく事情を調べきれていないため言及を避ける)。

ではこの「Linnaeusの『Systema Naturae』第10版.」なる著作物は何か? その著者、Carl Linnaeus (以下リンネ)こそは、二名法による生物種の命名を発案した人物。スウェーデンの植物学者であったリンネは、まず植物の命名法として二名法を編み出し、のちに全生物種に対してそれを適用した。

そして彼がその画期的な命名法を利用し、新たな生物標本を求めて世界中に送り込んだ弟子たちとともに、当時知られていたあらゆる生物に付けた学名を記述した目録が『Systema Naturae』--『自然の体系』なのである。

『Systema Naturae』は全ての生物に名前を付けることを目的としていた。当然その目はヨーロッパに広く分布するある小さな昆虫にも向けられることになる。リンネの故郷であるスウェーデンでもその虫が夜闇にゆっくりと明滅する姿が見られたことだろう。その昆虫には現在 Lampyris noctiluca(ラムピリス・ノクチルカ)の学名が与えられている。上で見た本の一ページは、この昆虫について書かれた『Systema Naturae』第10版の一ページなのであった。

厳密にいうと、第10版では属名が異なり、 Cantharis noctiluca (カンタリス・ノクチルカ)とされている。後の版で分類が見直され、現在でも有効な学名としてLampyris noctilucaが与えられた、という経緯。こういった学名の変更はよくあることで、現在有効とされる唯一の学名に対して、過去に使われていたが無効となった学名のことをシノニムと呼ぶ。

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Systema Naturae 13th edition pp.643-644.Lampyrisの下にnoctilucaが移動している.

Details - Systema naturae per regna tria naturae, secundum classes, ordines, genera, species, cum characteribus, differentiis, synonymis, locis - Biodiversity Heritage Library

余談だが、先に述べたイチョウ Ginkgo biloba もその命名はリンネに帰せられている。

Lampyris noctiluca について

日本では、ホタルというと幼虫が渓流に住み、成虫がその川面を飛び回ってほのかに光を灯す姿が思い浮かぶ。【われにかへれ】杜野凛世が実にお誂え向きにそのイメージを説明してくれる。

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【われにかへれ】杜野凛世(筆者非所持)

実は世界的に見るとこのように幼虫が水中生活を送るホタルは珍しく、多くの種は生涯陸上ないしは地中に生息する。日本国内でも、南西諸島ではこのタイプの陸棲ホタルが多く見られるらしい [Hoso]。

Lampyris noctiluca もそのような陸棲ホタルのひとつ。更に、「グローワーム」と呼ばれるタイプのホタルである。

ホタルの仲間(ホタル科 Lampyridae)はその発光スタイルによって大きく以下の3つのタイプに区分される [Lewis]。

ライトニングバグ(点滅型ホタル)
求愛時に雌雄がともに発光しながら飛ぶ。
グローワーム(無翅型ホタル)
雌は翅を持たず、光で雄を誘引する。雄は光らない。
ダーク・ファイヤーフライ(非発光性ホタル)
雌雄ともに発光しない。求愛に匂いを用いる。

日本を代表する2種のホタル、ゲンジボタルLuciola cruciata)・ヘイケボタルLuciola lateralis)はライトニングバグにあたる。Lampyris noctiluca が含まれるグローワーム glow wormは、その名の通り「光り輝くワーム」で、ライトニングバグとは対照的に、翅を持たず飛ばない雌のほうに注目した名称になっている。特にLampyris noctiluca北ヨーロッパではもっとも普通にみられるグローワームの一種で、ずばり"common glow worm", "European glow worm" などとも呼ばれる。

Lampyris noctiluca Lampyridae - Lampyris noctiluca

左:雌のLampyris noctiluca成虫.File:Lampyris noctiluca.jpg - Wikimedia Commons

右:雄のLampyris noctiluca成虫.File:Lampyris noctiluca.jpg - Wikimedia Commons

ちなみに、ヒカリキノコバエという名のハエの一グループがいて、その幼虫も同じくグローワームと呼ばれる。日本語では「ツチボタル」の訳があてられるが、ハエとホタルでは目レベルで隔たった全くの別種。しかし名前の通り、彼らもまたルシフェリン-ルシフェラーゼ反応で発光する。

ヒカリキノコバエ - Wikipedia

多摩動物公園で飼育されているとのこと。

最古のNoctiluca

生物の学名としてNoctilucaが用いられたのがLampyris noctilucaであることは確かである。これは『Systema Naturae』第10版より前の命名は学名と認められないから、という至って単純な理由による。では、noctilucaという語がリンネらによって作られた語かというと、どうも全くそんなことはないようだ。以下専らWiktionaryの記事による。

noctiluca - Wiktionary

"Noctiluca" という語は、「夜」を意味する"nox"と「光ること」を意味する "luceō" の合成によってできている。英語の "night" と "light" と同根であることを知れば理解しやすい。

nox - Wiktionary

lucere - Wiktionary

文字通りの意味は、「夜に輝くもの」である。そこから派生して「月」、「蝋燭、ランプ、ランタン」の意味になる。前者の意味での用例は、実に紀元前一世紀から引用されている。やや語尾が変化した形にはなるが、以下に引用した18世紀以降のいくつかの文献でも、発光生物を形容するためにこの語がたびたび用いられており、特に「ホタル」を想起させる語ではないらしいことがうかがわれる。

当初想像していたのは、身近な存在である Lampyris noctiluca から派生して後代に Noctiluca scintillans命名された、という道筋だった。しかしこれは見当違いだったようだ。

Noctiluca scintillans について

さて、"noctiluca" はいかにして夜光虫の属名として付けられるに至ったのだろうか。

World Register of Marine Species (WoRMS) という、海洋生物の膨大な分類学的データを集めたウェブサイトがある。ここに Noctiluca scintillans も登録されている。

WoRMS - World Register of Marine Species - Noctiluca scintillans (Macartney) Kofoid & Swezy, 1921

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WoRMS内の Noctiluca scintillans の個別ページ画面(2020年11月15日撮影)

Noctiluca scintillans
Noctiluca scintillans から発せられる海面の青白い光 。
WoRMS - World Register of Marine Species

Noctiluca scintillans
Noctiluca scintillans 写真。単細胞でありながら各個体のサイズは0.5mmほどと大きく、肉眼でも観察可能とされる。
WoRMS - World Register of Marine Species

歴史を探る前に、現在認められている Noctiluca scintillans の分類を見ておこう。WoRMS上での分類は、上から順に下表のようになっている。

分類階級名称
界 Kingdomクロミスタ界Chromista
亜界 SubkingdomHarosa
下界 InfrakingdomAlveorata
門 PhylumMyzozoa
亜門 SubphylumDinozoa
下門 Infraphylum渦鞭毛虫下門 Dinoflagellata
綱 Class渦鞭毛藻綱 Dinophyceae
目 Orderヤコウチュウ目 Noctilucales
科 Familyヤコウチュウ科 Noctilucaceae
属 GenusNoctiluca
種 SpeciesNoctiluca scintillans

「渦鞭毛藻(ウズベンモウソウ)」*3の名前の通り、ヤコウチュウは「藻類」に属している。しかし「藻類」は互いに非常に隔たった系統を含む広い分類区分で、日常的な用語としての「藻」(モ)から想起されるものとはかなり異なる。実際、単体のヤコウチュウ光合成を行わず、他のプランクトンなどを捕食する従属栄養生物である。この状態のヤコウチュウ葉緑体をもたず、大量発生すると赤潮の原因になって海を赤く染める。

面白いことに、Pedinomonas noctilucae という他の微生物と共生する形態をとることもある。この場合は海面が緑色になる [Harrison]。ただし、この形態をとるのは海水温の高い低緯度地域に限られる。

さらに、「ミルクの海」現象と呼ばれる、海面が乳白色に染まって見える現象もヤコウチュウが原因とされている。この「ミルクの海」現象は、ジュール・ヴェルヌによる古典『海底二万里』にも登場する。

Milky seas effect - Wikipedia

「しかし、旦那様」とコンセイユが訊いた。「何が原因でこんなふうになるのか教えていただけるでしょうか?まさか海水がミルクになってしまったわけではないと思いますが!」

「もちろん、そういうわけではないんだ、コンセイユ。この白さにずいぶん驚いているようだが、これは無数の滴虫類という微小生物、一種のツチボタルみたいなものがいるせいなんだ。無色透明のゼラチン状の生き物で、太さは髪の毛一本くらい、長さはせいぜい〇・二ミリしかないが、それがたがいにくっつき合って、ときには数里もひろがることがある」

ジュール・ヴェルヌ海底二万里』(下)(村松潔訳、2012年、新潮社))

具体的な名前は登場していないが、この「ツチボタルみたいな」滴中類は現在のヤコウチュウであろう。1870年が初版の作品であることを考えると、この部分だけを見ても当時の科学的な知見を取り入れた先進的な作品であることが分かる。

さて、noctiliucaの歴史に話を戻そう。WoRMSの同ページから、Noctiluca scintillans が辿った、現在の学名に落ち着くまでの紆余曲折も一覧できる。

学名をよく見ると、「Noctiluca scintillans (Macartney) Kofoid & Swezy, 1921」と、属名、種小名の後ろに人名と年号が続いている。括弧内のMacartneyは、現在とは異なる属への分類を行ったが、最初に命名した人物の名。続く2人が現在の名を1921年を与えたことが読み取れる。

この2人の人物、Charles A. KofoidとOlive Swezyは Noctiluca scintillans の名を決定した著書、"The free-living unarmored dinoflagellata"(『自由生活性の非装甲渦鞭毛藻類』)の中で、ヤコウチュウ命名史を検討している [Kofoid]。

ヤコウチュウ命名は、初期の断片的で不完全な記述、他の発光生物との混同、またいくつもの異なる名前で呼ばれたことによって、大きな困難をはらんだものになっている。Lamarckが著書 "Animaux sans vertebres"無脊椎動物誌』の中でSurirayの名のもとにヤコウチュウを1816年に紹介して以来、Ehrenberg(1834)によって付けられた Noctiluca miliaris の名(元の名からの意図的な分類の移動が行われているが)は、彼自身の大部の著書とその引用によってゆるぎない地位を確立している。優先権の原則に従うと、Macartney(1810)によって付けられた種小名 "scintillans" が採用されるにふさわしいものとなるが、彼の付けた属名には難点がある。Noctiluca 以外の名はあやふやな前提に基づいており、有効性に大いに疑問がある。

これに続いて、さらに詳細に歴史が述べられている。結果としては、Macartneyが最初に有効な学名を付けたものと認定しつつ、彼が用いた属名の "Medusa" は採用せず、やや後の時代に付けられた"Noctiluca"を組み合わせて Noctiluca scintillans の名を与えている。

ここでは、その歴史の中から、三つの転換点だけを取り出して見てみる。

ヤコウチュウに対する最古の命名は、1771年、Slabberによる Medusa marinaとされる。Kofoid & Swezyによると、「Slabberによる命名は明らかに意識的に二名法に従ったものではない」とされているが、ヤコウチュウの観察を行った点に関しては認めている。

下の画像は、1778年のNatuurkundige verlustigingen(オランダ語)という本の一ページに掲載された、Martinus Slabberによる図版。Fig.4, 5 に夜光虫が描かれている。p.67にはその説明がある。2世紀以上前のオランダ語で書かれているため、断片的にしか読むことができない*4が、ZEE-KWAL(海クラゲ?*5)の名でも呼ばれている通り、その分類学的位置付けに関しては現在の知見とは異なっている。「二名法風」のMedusa marinaはそのラテン語訳。

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Natuurkundige verlustigingen pl.8. fig.4, 5が夜光虫. 後の時代のものと思われる鉛筆による書き込み "Noctilucae" がある。

Natuurkundige verlustigingen - Biodiversity Heritage Library

このときはまだ、海面の発光現象とこの微生物とが結びついていない。当時、その説明については、海水に含まれる化学物質の反応、微小な塩の粒子の摩擦、日中に吸収された太陽光の放出……など諸説紛々の状況だった [Harvey]。

発光生物としてのヤコウチュウの特性を認め、現在に通じる scintillans の種小名を与えたのは、上述の通り、J. Macartney で1816年のこと。彼の行った観察を以下に抜粋。

探求心と良好な健康状態は私をたびたび海岸へと駆り立て、私は我々の海を輝かせる動物の観察をする多くの機会に恵まれた。その中で、私は三つの種を発見した。一つはこれまで記載されたことがないクシクラゲ(beroe)である。他の一つは、medusa hemisphericaとかなり近い特徴をもち、私が見るところ同じか、少なくとも一変種に属する種である。三つめは微小なクラゲ(medusa)の一種で、これが発光性の動物であることを私は信じているのだが、航海士たちには頻繁に観察されていながら、確かな研究も記述もなされたことがない。

私がこの動物たちに出会ったのは、1804年の10月、ケント州(訳注:イングランド南西部)の北海岸に位置する、ハーン湾という小さな海水浴場でのことだった。何夜か海が非常に明るく輝くのを観察したあと、ちょっとした量の海水を汲み上げた。水をたたえた容器が完全に静かなとき光が放たれることはないが、少しでも揺らすと明るい光の瞬きが、特に表面から放たれる。また容器に突然衝撃が与えられると、多数の点が一斉に輝くことで水面から閃光が放たれる。この輝く点は水から取り上げるともはや光を生じない。非常に透明度が高く、空気中では水の小球のように見える。一番小さいピンの先よりも細かい。どれだけ慎重に触っても割れて視界から消えてしまう。多量の輝く水を濾過するとこの透明な小球が布上に大量に得られ、その一方、濾過された水は全く光を放たなくなる。更に私は、繰り返し濾過することで十分透明になった海水を大きなグラスに注ぎ、目の細かな布をその布に浮かべてみた。その上には先ほど集めた輝く点が載っており、一部は自由になったが、暗い色の紙の上にそのグラスを載せることで、自然な状態で観察できるようになった。それらは水の表面に上ってくる傾向があり、グラス上に置かれたあと何度か、互いに集合する様子が見られた。そうして密集して固まっているときはくすんだ麦わら色を帯びるが、一つずつはほとんど目に見えないほど非常に透明で、特殊な状況でしか可視化されない。それらを構成する物質は実にやわらかく壊れやすいもので、蒸留酢やアルコール中に落とすと、浸潤するまでのしばらくの間不透明になる。

この微小な小球を顕微鏡で観察する中で私が気付いたことは、それらがまったく完全な球体ではなく、ある方向に不透明な成分からなる不規則な窪みがあって、内部に向かってわずかに突き出しており、丸い鞄の口を結んで胴の側に回したかのような見た目をしていることだった*6

この生き物たちの水中での動きはゆっくりとしていて優雅で、いかなる体の伸縮運動も伴わない。死後は、必ず容器の底へ沈んでいく。

この種が産する閃光(sparkling light)を由来に、私は medusa scintillans (訳注:scintillation = 火花、閃光)という名前を付けて区別することにしたいと思う。

この素朴ながら丁寧な観察によって、現在にも残る scintillans の種小名がヤコウチュウに与えられることになった。抜粋箇所以外にも、いくつかの発光生物に対して行った観察のほか、当時の知見を多岐にわたってMacartneyは記述している。ちなみに、Langstaff氏からの伝聞として「ミルクの海」現象に関しても報告しており、「光る微小なクラゲ」と結びつけている。

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Macartney "Observations upon Luminous Animals". かすれてしまっているが、2列目左から2、3番目のFig. 9、Fig. 10がそれぞれ原寸、拡大したヤコウチュウの図。グローワームの図も載っている。

属名Noctiluca は、Lamarckによる著書 "Histoire naturelle des animaux sans vertèbres"(『無脊椎動物誌』)の中で、Suriray氏による観察の紹介とともにその名が登場することになる。以下がその該当箇所。

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Histoire naturelle des animaux sans vertèbres p.470.

簡潔な記述に留まり、どのような背景をもってNoctilucaの名がヤコウチュウに与えられることになったのか、確かなところは分からない。しかし、生物の発光現象に科学的な関心が向けられ始めた初期の時代においては、そう多くない選択肢の中から自然に選び取られる名前であったようである。

様々なノクチルカ

Noctiluca属はNoctiluca scintillans一種のみを含む「一属一種」の分類群である。しかし、"noctiluca" を名前に含む種はホタルとヤコウチュウに留まらない。

以下に挙げるのは、種小名にnoctiluca を持つ、現在有効な学名を有する海産動物たちである。

Uroteuthis (Aestuariolus) noctiluca (Lu, Roper & Tait, 1985)
オーストラリア東岸の浅水域生息するイカ。墨袋の下に2つの光点を持つ。 WoRMS, Wikipedia
Cypridina noctiluca Kajiyama, 1912
日本沿岸に生息するウミホタル(甲殻亜門貝虫綱)[Nakajima]。WoRMS
Nereis noctiluca Linnaeus, 1761
ゴカイ(環形動物)の一種 [Conde-vela]。Lampyris noctilucaより後だがリンネによって記載されている。WoRMS
Pelagia noctiluca (Forsskål, 1775)
温暖な海域にすむ、特徴的な紫色を帯びたクラゲ。やはり発光能力をもつ。WoRMS, Wikipedia
Ptychodiscus noctiluca Stein, 1883
ヤコウチュウと同じ渦鞭毛藻だが、発光能力に関しては不明。WoRMS, Algaebase

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※【ゆらゆらアクアリウム】に映っているのはミズクラゲ Aurelia aurita なので関係ない。

夜光蟲

日本で「夜光虫」の名でその生物が呼ばれるようになったのはいつのことなのだろうか。国会図書館デジタルコレクションで検索すると、登録されている中で最古の例として、1898年(明治31年)の「動物学雑誌」に「夜光蟲ニ付テ」と題する記事が見つかる [Ishikawa]。興味深いことに、遡ること9年、1889年(明治22年)の同誌に「ノクチルーカ(Noctiluca)の燐光」という記事が掲載されている [Shii] 。ここでは「夜光蟲」の訳は見当たらない。

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「夜光蟲の話」、1898年。

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「ノクチルーカ(Noctiluca)の燐光」、1889年。

確かなところは分からないが、この間に「夜光蟲」の訳は定着していったようである。

結び

本記事では、ノクチル(noctchill)のユニット名の由来となった Noctiluca scintillans命名に関する歴史を調べた。調べ始めた当初の動機は、Lampyris noctiluca との繋がりを見つけることだったが、どうやら直接の関係はないらしい。

特にノクチル理解につながるような知見も得ていないが、クジラの歌の話をしたり、アリの巣キットをプレゼントしようと提案したり、イカの宇宙由来説を何度も話したりする浅倉透とこの分野はかなり親和性が高い。「ホタルもさ、ノクチルなんだって」など突然言い出す日への備えは万端だ。

参考文献

  1. 大場裕一『恐竜はホタルを見たか 発光生物が照らす進化の謎』(2016年、岩波書店
  2. 井上勲『藻類30億年の自然史 藻類から見る生物進化・地球・環境』(第2版)(2007年、東海大学出版部)
  3. 千原光雄編『藻類の多様性と系統』(1999年、裳華房
  4. ロブ・ダン(田中敦子訳)『アリの背中に乗った甲虫を探して 未知の生物に憑かれた科学者たち』(2009年、ウェッジ)(原著:Rob R. Dunn, "Every Living Thing: Man's Obsessive Quest to Catalog Lige, From Nanobacteria to New Monkeys", 2009.)
  5. 細将貴『右利きのヘビ仮説 追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化』(2012年、東海大学出版部)
  6. サラ・ルイス(高橋功一訳)『ホタルの不思議な世界』(2018年、エクスナレッジ)(原著:Lewis, Sara, "Silent sparks", 2016, Princeton University Press.)
  7. Kofoid, Charles Atwood, and Olive Swezy. The free-living unarmored Dinoflagellata. 1921. Details - The free-living unarmored dinoflagellata - Biodiversity Heritage Library https://doi.org/10.5962/bhl.title.24995
  8. Harrison, Paul James, et al. "Geographical distribution of red and green Noctiluca scintillans." Chinese Journal of Oceanology and Limnology 29.4 (2011): 807-831. https://doi.org/10.1007/s00343-011-0510-z
  9. Harvey, E. Newton. "Benjamin Franklin's Views on the Phosphorescence of the Sea." Proceedings of the American Philosophical Society (1940): 341-348. https://www.jstor.org/stable/985015
  10. Macartney, J. "Observations upon Luminous Animals." The Belfast Monthly Magazine 6.33 (1811): 316-325. https://www.jstor.org/stable/107224
  11. Nakajima, Yoshihiro, et al. "cDNA cloning and characterization of a secreted luciferase from the luminous Japanese ostracod, Cypridina noctiluca." Bioscience, biotechnology, and biochemistry 68.3 (2004): 565-570.
  12. Conde-Vela, Víctor M., and Sergio I. Salazar-Vallejo. "Redescriptions of Nereis oligohalina (Rioja, 1946) and N. garwoodi González-Escalante & Salazar-Vallejo, 2003 and description of N. confusa sp. n.(Annelida, Nereididae)." ZooKeys 518 (2015): 15.
  13. 石川千代松, "夜光蟲ノ話", 動物学雑誌 2(22), 325-327, 1890, 東京動物學會 https://ci.nii.ac.jp/naid/110003324562
  14. , "ノクチルーカ(Noctiluca)の燐光", 動物学雑誌 1(9), 305-306, 1889, 東京動物學會 https://ci.nii.ac.jp/naid/110003324562https://ci.nii.ac.jp/naid/110003356682
    1. *1:細かいことをいうと、幻想性を帯びたこのストーリーの性質上、本当にその正体が夜光虫であるかは疑わしかったりするけれど

      *2:ドバト・カワラバトの語の使い分けは実際には妙に複雑になっている。カワラバト - Wikipedia

      *3:サンゴは刺胞動物といってクラゲやイソギンチャクの仲間だが、その体内には褐虫藻という共生生物がいて、光合成の恩恵を受けている。この褐虫藻も渦鞭毛藻の仲間。

      *4:ちょっと面白いことに、この小さな微生物について"zeer doorzigtig"と描写されている。「非常に透明」らしい。さよなら、透明だった僕たち――

      *5:明らかにこの名称には違和感がある。クラゲは多くの種が海棲だから。この当時のkwalは違う意味を持つ?

      *6:"producing such an appearance as would arise from tying the neck of a round bag, and turning it into the body." うーん……