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このマグロがすごい!2023─『マグロちゃんは食べられたい!』最新話の何がすごいか

釣り上げたマグロが少女に変わる。 元マグロ少女と生活を共にすることになる。 価値観の違いに振り回されつつコメディが進行する。 やがて第二、第三の元マグロ少女が現れ更に主人公の周囲を賑やかにする。

やや色物の、「素朴に」とか「しみじみと」といったタイプの面白さのある漫画に見えて、 実際それもそうなのだけれど、連載最新話で急激に「芯」のある面白さを感じはじめたので紹介したい。

『マグロちゃんは食べられたい!』 マグロちゃんは食べられたい! 1巻 (まんがタイムKRコミックス) 髪が赤いのがみさき(釣り主、人間)で、髪が白いのがまぐろちゃん(釣り上げられた元マグロ)



漫画の連載を雑誌で追っていると、それまでしっかり向き合っていなかった漫画の面白さを再発見する回というものにしばしば遭遇する。 部屋の隅に積んであるバックナンバーを遡る。単行本を頭から読み通す。 読んだことのある回の、あの描写この台詞の深みに気付く。

『マグロちゃんは食べられたい!』最新話がそうだった。

みさきさんと同じ服を着て
同じ布団で眠って
同じ暮らしをして

それだけでこんなに満たされた気持ちになるなら
本当の意味でいっしょになったらどんなに幸せなんでしょうか

このしっとりとした語りが、いかにもカラッとして朗らかな元マグロ少女まぐろちゃんの心の内でつぶやかれる。

この台詞はすごい。 ここまで積み上げてきたエピソードたちがこのモノローグに文字面だけでない意味を与えて、 逆にこの台詞がこれまでのエピソードの細部の造型に気付かせてくれる。

どうすごいか。

すごさ1. お揃いのパジャマを着るというプチイベントからこの台詞が発生する。

前提として、「本当の意味でいっしょになったら」はこのまぐろちゃん(元マグロ)がみさき(生まれつき人間)に食べられることを言う。 この作品ではみさきの「血肉になりたい」という言葉がまぐろちゃんから繰り返し発せられる。 自分を釣り上げた人間に食べられて血肉を捧げる、というのが「マグロの掟」で、 まぐろちゃんはどこまでもそれに従おうとする。

そこへある日サイズも色も同じ2セットのひらひらのパジャマが届く。 洗濯するとどっちがどっちか分からない、という現実的な心配をみさきがする一方、 まぐろちゃんはみさきと向かい合い両手のひらを合わせて、

こうすると鏡を見ているみたいです

今はまだみさきさんに食べて頂けませんけど…

これを着ていると一緒になれたみたいで嬉しいです

と、感じたことを無邪気に率直に伝える。

で、その晩の台詞が「本当の意味でいっしょになったらどんなに幸せなんでしょうか」で、 いっしょのパジャマを着ていっしょに生活するだけでこんなに幸せなら、 本当の意味でいっしょになる=食べられて血肉になればもっと幸せだろう、 という全く人間とは異質なロジックが展開されている。すごい。まぐろちゃんという生き物の感性を丁寧にトレースすること生まれた表現。

これを実は結構怖いことを言っていることに気付かせないくらいの、ごく明るい調子で発する。それが味わい深い。

すごさ2. 一方でそのすぐ後の「アンタは家族みたいなもんよ」というみさきの言葉を全く受け入れない。

人間としてはこれほど愛のこもった台詞はない。 が、まぐろちゃんは「そんなの嫌です!」と即応する。なぜ?(ウミガメのスープ

家族みたいに受け入れてくれることは元マグロにとって幸福のひとつの形ですらない。 なぜならマグロは血縁で群れを作らないから。 いつか自分のことを食べてほしいのに、「家族」なんかに思われるのは嫌なのだ。

なお、定番ギャグのひとつである「共食い」をこの漫画でもやっている。 マグロの寿司は「昔食べた兄弟の味を思い出」すらしい (筆者がいちばんすきなコマのひとつ……)。 元マグロにとって、血縁は愛や幸福と全く結びつかない。

すごさ3. みさきはまぐろに対して、食べられたいという願いを忘れてしまうよう本心から迫っている。

遡って2022年12月号の掲載回にあるみさきの台詞。

人間の世界にはまだまだ美味しいものがたくさんあるわ
魚だけじゃないしたのしいこともいっぱいあるの
だからさ…

やめちゃわない?
私に食べられるの

みさきさん私を食べてください!→食べないから!という、コメディ調の掛け合いがお決まりの流れになっているところに、 意を決したみさきが放った言葉。文字だけ書き起こすと改めて感じる。重い……。

この改まった提案をまぐろちゃんは断る。

確かにみさきさんと一緒にいるのは楽しいです
でも
食べて頂けない限り いつか必ずお別れが来るじゃないですか

(中略)

私は貴方に食べられたいんです
みさきさんにとって私が運命の魚じゃなくても
私の運命の人はみさきさんだけですから

このやりとりはここで終わる。 終わるが、みさきはここであきらめたわけではなく、「あの子自身の気持ちを私が見つけて見せるわ」と意を新たにする。

そこへ「本当の意味でいっしょになったらどんなに幸せなんでしょうか」が投じられる。 みさきの決意をよそに、まぐろちゃんは普通の人間として生きる喜びに気付くどころか、 食べられて一緒になることへの願望をより一層募らせていた。 まぐろちゃん自身の気持ちは今のところ全く「みさきと一緒に過ごすこと」に向かっていない。 むしろ、ただ「釣り上げられた人間に食べられる」という掟に「縛られる」段階を脱していて、そのなかに自分自身で新たに意味を発見している。

また別の回(きららMAX2023/02号)でまぐろちゃんはこうも言う。

みさきさんが私を食べたくないなら
食べずにはいられないような至高のマグロを目指さなきゃ

まぐろちゃんもまた、みさきが心変わりすることを望んでいる。 一緒に日々を過ごすのではなくて、自分を食べたくなるように。

みさきはまぐろちゃんのことを突然できた妹のような存在に感じている。 ただ一緒に暮らすことに既に幸せを見出している。 対して、まぐろちゃんは自分を釣り上げたみさきに対して崇拝めいた感情で向き合って、こうして早く食べられることを願っている。

お互いに相手の幸せのあり方が塗り替わることを求める。 どちらもそれぞれ相手のことを慮りつつも利己的で、お互いが目指す幸福の形を認めていない

膠着状態。「私の幸せと貴方の幸せが両立しない」って……「綺麗」だ……。

すごさ4. 「一緒になるのと一緒にいるのは全然別のことだ」という台詞がもっと前の回に出ている。

アンサーか?と思うところだが、これが出てきたのはもっと前の第5話(最新話が15話だから、10回前)。 同じく元マグロ少女(正確にはバショウカジキ)のカジキちゃんから発せられたもの。すごい、本質的な台詞がずっと前に出ていた。

そう、まぐろちゃんは一緒になるのと一緒にいることを同一視している。 この指摘は一顧だにされないまま今に至るわけだが、まぐろちゃんが気付くかもしれないし気付かないかもしれないテーマは既に提示されていたことになる。

ところでカジキちゃんもまたみさきの幼馴染なぎさ(生まれつき人間)と生活を共にすることになる。 この2人はみさき&まぐろと逆に、元魚のカジキの方がずっと一緒でいることを望んでいて、対照的な関係になっている。 そのことを認識するとまた見え方が変わってきて……というのは割愛。


こうして読み返すと新たに発見があるもので、この「マグロちゃんは食べられたい!」という漫画は、「食べられたい!」という願望を色々な角度から眺めて、それとない風に真剣かつ丁寧に扱っている。 それを日常コメディの中に織り交ぜるのが非常にうまい。

紹介と言いつつ連載最新話までめちゃめちゃネタバレした(自己弁護するとこれくらいのネタバレで読む楽しみが減じるような漫画じゃない。結局のところ、文字で伝わる4コマ漫画の魅力というものは一側面に過ぎない)。みさきとまぐろの行く先がどうなるのか、連載を読んで、今一番ライブで追ってほしい漫画です。

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