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Shironetsu Blog

@shironetsuのブログ

『アロウズ・オブ・タイム』-ライラの理論-アガタの実験

 グレッグ・イーガンアロウズ・オブ・タイム』をよんだ. <直交>三部作完結. おわってしまった. 第1巻『クロックワーク・ロケット』から約14カ月. 第2巻『エターナル・フレイム』から半年. ちょうどいい間隔. ありがとうございました.

 「アロウズ・オブ・タイム」がタイトルになっていることからも分かるように, 本巻ではここまで避け気味に語られてきた「時の矢」の問題に直接向かい合っていくことになる. 時間とは何か?

 時間逆行カメラというささやかな逸脱からはじまり, その応用である未来からのメッセージ受信機, さらには真逆の熱力学的時の矢の流れの中にある惑星エシリオに着陸する. しっかりと構築されてきた科学的背景があるため目の前で進行していく現象は奇妙でありながらも説得力があり, 「説明が付けられる」せいでかえってぞっとさせられて, もちろんめちゃくちゃおもしろい.

 時間の問題に取り組むということは同時に重力について考えることにもなる. 物理学者ライラやアガタはエントロピー勾配が存在する理由という彼ら自身の存在に関わる問題を宇宙の形や曲率の問題と結び付けることを試みる.

 その基礎となるのがライラの重力理論だった. 「ヴィットリオの逆二乗則」としてヤルダ以前の時代から知られていた重力の法則を回転物理学に適合させるための理論で, もちろんこれは我々の宇宙の一般相対性理論に相当するものだ. 問題は<孤絶>で旅を続ける彼らには有効な検証方法がなくいわば土台が不安定なまま先へ進むことを強いられていたことだった.

「それはエレガントなアイデアだ。天文学者たちは、もうそれを検証したのかな?」
「それが最難関の部分です」アガタは認めた。「数学としては美しいのですが、山はじゅうぶんに質量の大きな物体からは遠すぎて、検証方法を考案するのはほぼ不可能です」
(p.74)

 ここでアガタは惑星の近点移動の測定による検証にふれる. 人間の歴史ではニュートン力学で説明できない水星の近日点移動の問題を解消したことで一般相対性理論はひとつの証拠を得たが, <孤絶>には精密な測定データが残っておらず不可能だった.

 しかし好機は入植候補の直交惑星エシリオへの調査計画が持ち上がったことで訪れた. エシリオがその周りを公転する恒星による遠方の母星クラスターからの光線の湾曲を観測することで検証が可能となるのだ. アガタは次のように説明した.

「もし重力がほんとうに四空間の曲率にすぎないなら」アガタが話を進めた。「この恒星の近くを通過する光は、ヴィットリオの理論で予測されるのよりも、曲がる度合いが小さくなります。奇妙な話に聞こえるのはわかりますが、ライラの理論では、恒星周囲の湾曲した空間が遠心力を平坦な空間でのそれよりも強くして、光の軌道を曲げるのがより難しくなります。観測を妨げるまばゆい光がないので、母星クラスターの星の尾がこの恒星の円盤の端に近づくときの見かけの位置を計測することが可能で、それでふたりの予測のどちらが正しいかわかるわけです」(p.177)

 やはりこの実験にも人類の歴史に対応するものがあり, それは皆既日食を利用した太陽のまわりの光線の湾曲の測定だった. まばゆい太陽を覆い隠してその近傍を通過した星の像を捉えるには皆既日食という稀な現象を利用するしかなかったのだ. 一方アガタの実験で用いる恒星は彼女たちとは反対の方向を向く時の矢を持つため暗い円盤でしかない. ただしその旅のために往復12年を探査機の中で過ごさなくてはならない. 理論ひとつの検証のため好機を逃すまいとその身を捧ぐ科学者. 熱い.

 このアガタが行った実験について考えていく. こちらの宇宙のシュバルツシルト解に対応する解を使うことになる.



球対称解

 まずは計量の導出から. cは青色光速. 球対称な計量は次のように表せる.
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μとνはrにのみ依存. 十分遠方でユークリッド計量に漸近するべきであることから, r→∞で
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となる.
 ここからアインシュタインテンソルの消えない共変成分は次のように計算できる
*1.
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 いま真空領域を考えているので, これらがすべてゼロになるとして解くと次のような形の計量が得られる*2.
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aは定数. この段階では正負は分からない.

 測地線を運動するテスト粒子の軌跡の従う方程式を求める. そのために固有時間の変分をとる.
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被変分関数を
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としておく. τに沿ってこの値は常にcである.

 Sがtとφに陽に依存しないことから,
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は定数になる. このことから次のように定数γ, jを定められる.
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続いてθの変分をとると
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となるが, θ=π/2はこれを満たして一般性を失わないためテスト粒子はこの平面内で運動するものとする.

 S=cに対してここまでの結果を代入して変形すると,
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が得られる.

 非回転物理(相対論)のヴィットリオの重力理論では
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粒子の質量, Gは重力定数, Mは重力源の質量, Lは角運動量, Eは全エネルギー. したがって, rの十分大きいところで両者が一致するためには
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となることが要請され, aは正の値をとる. これをやはり重力半径とよぶことにする. こちらの宇宙ではシュバルツシルト半径とも呼ばれているもの.

 式の形を見ると, 遠心力に相当する項に(1+a/r)がかかっている. これが上に引用したアガタのことば「湾曲した空間が遠心力を平坦な空間でのそれよりも強く」する効果を表している. われわれの宇宙ではこれが(1-a/r)となる. つまり近づくほど遠心力は弱くなるためその真逆の働きをもつのだ.



光子の軌道

 目標として衝突係数と曲がり角の関係を決めたい. そのためにrをφの関数として表すことを考える.

 まずφに対してrは一意である. u=1/rとすると,
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原理的にはこれを積分することで軌道の形が分かるが楕円積分が現れるため避けたい.

 そこで両辺をφで微分することで次の式を出す.
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 いま重力半径より十分外側を通過すると仮定(r >> a)すると, 右辺第二項は摂動とみなせるためいったんこれを無視する. さらに非束縛軌道を仮定しφ=0でrは極値をとるとすると,
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が0次の解になる(Δは正にとる). これはヴィットリオの重力理論に従う双曲線軌道と同じものになる. ここに補正項χを加えてu=u0+χとすると,
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結局,
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となる.*3

 曲がり角が微小であると仮定すると, 微小角度δに対してφ=π/2+δでrが発散するべきである. そのためには, 分母が0になればよく,
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と決まる. 変形の過程で1/eが微小であることも仮定した.

 光の色と曲がり角の関係を調べる. jは単位質量当たりの*4角運動量とみなせるため衝突係数bと無限遠での速度vの積になる. またβ=v/c, γ=1/√(1+β^2)の関係は遠方の平坦とみなせる時空でとることでやはり成り立つ. これらを代入して
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となる. b/a>>1(重力半径のじゅうぶん外側を通過),βγ~1(可視光以上の速度)を仮定しているので, 偏角2δは
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となる. 一方ヴィットリオ理論では-1がつかない. つまりまとめると次のようになる.
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 ライラ理論によるとβ=1では偏角は0となる. すなわち青色光は曲がらない. またβ>1では負値をとる. つまり引き寄せられるのではなく反発を受けることになる.

 ゆえに直交宇宙の重力レンズは青色より高速:短波長だと凹レンズとして, 低速:長波長だと凸レンズとしてはたらく. ただし軌道が重力半径の十分外側を通る前提があることに注意. 大雑把にこのことを図示すると下のようになる. 左が重力源のないときで右はあるとき. 虹色グラデーションの棒は星. 重力源に対して紫色端は引き寄せられるように, 赤色端は退けられるように見える.
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 エシリオの太陽が母星クラスターの恒星を覆い隠すときこれほど劇的な変化は現れないが, 観測対象としているのはこういう現象でここから衝突係数-偏角の関係を測定することになる.



アガタの実験

 アガタがスクリーンを身振りで示し、「そのうちなにか見えるわ」
「いや、それが示すのは、光が曲がるということだけだ。それはヴィットリオの理論も予測している」
アガタはアゼリオのかたくなさに業を煮やしてブンブンいった。「異なる量で曲がる――そしていくつかの色の場合、反対方向にね!」(p.251)

 ではアガタによる実験の測定結果はどうだったか. 『アロウズ・オブ・タイム』p.259の図に従うと, 青色光に対してヴィットリオ理論では「中心からの光のズレ」:衝突係数が4.0ダース大旅離(セヴェランス)のとき偏角は3.6弧瞬角(アークフリッカー)=3.6*2π*12^(-5)ラジアンとなっている. 青色光はβ=1だから, エシリオの太陽の重力半径は7.5街離(ストロール)と計算できる. 恒星半径がおそらく4ダース大旅離程度なのでその1.1万分の1程度とはるかに小さい. なお我々の太陽ではこの比率は23万分の1である.

 これを使って2つの理論に従う予測を再現してみる. 彩りのため緑色も入れた.
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 形は一おおよそ致している. しかしよく見ると値が合わない. βが補遺2に載っている値とは違うのかもしれない. 赤色をβ=0.61, 紫色をβ=1.20に修正したものが下の図. やや改善.
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 ここで使った式は十分遠方を通過すると仮定したが, 衝突係数がより小さいときはどうなるだろうか. 数値計算を行って軌道の形を見る. それぞれの色の光に対して下のようになる.
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 座標*5は重力半径を単位にしている. 点線で囲まれた円は半径1. b/a=10では光線の振る舞いは上の近似の範囲から大きく外れないがb/a=1ではすべての光線が反発を受けている. この角度をプロットしたのが下のグラフ. 横軸の衝突係数は対数になっていることに注意.
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 上で出したアガタの実験のグラフはこのさらに右側になるが, かなり中心に近付かないかぎり十分近似は成り立つ. そもそもこれは真空領域での解なのでここまで中には入り込めない.



問題

 宇宙がコンパクト多様体であることはヤルダによって示され<孤絶>発進前から既に知られていることだった. というかエントロピー勾配が存在する理由を考えるうえでもこの点だけは確実視している. しかしここで使った正定値シュワルツシルト解はそれを考慮すると厳密解にはならないはず. 作中の観測事実を説明している以上少なくとも妥当な近似であることは判明しているが, 宇宙の有限性は重力にどう影響するのだろうか.



白熱光

 実は正定値計量のシュワルツシルト解は『白熱光』にも登場している. タンの発想に基づいて発見された二番目の「時間と空間の幾何学」がそれだ(と思う…).

「この二番目に発見された幾何学は、最初に発見されたものと同様、特別な一点に関して対称であり、円軌道が存在しえた。ハブから遠ざかると、そうした軌道の周期は従来の二乗-三乗ルールで近似できたが、もっと小さい軌道では近似が成り立たなくなり、周期はルールが示すものよりも長くなった」(『白熱光』pp.195-196)

 時間と空間の高い対称性を課すことで得られたこの「幾何学」は, ハブに近づくにつれガーム-サード方向とショマル-ジュヌブ方向の重さ:潮汐力の比が3より大きくなることを予言したがこれは実測値に一致しなかったのだった.

 これを改善するべくロイは空間の二乗の和から時間の二乗の和を引くことを思いつき, そこから導かれる計算が<スプリンター>のハブへの落下を予測することになる. ちなみに作中「二単位」と呼ばれているのがシュワルツシルト半径で「六単位」はその三倍で最終安定円軌道の半径.



おわり
 いずれ一般相対論は発見されるのだろうと予想してはいたもののここまでがっつりとストーリーの根幹にかかわってくるとは思っていなかった. ブラックホールの出てこない一般相対論SF. 熱力学的悪夢(?)が目に見える形で襲い掛かってくるのと違って一般相対論の効果ははっきり分かる現象として現れてはこないがその微妙さがむしろ<孤絶>の物理学者たちの取り組まなくてはらない問題の難しさを感じさせる.
 宇宙の姿や時の矢の問題も完全に解決をみたわけではなかったが, 炎の消えた太陽に従えられ直交星の危機から身を守る術を得た彼らが解き明かしていく謎を思うとわくわくする.



参考文献

須藤靖『一般相対論入門』(日本評論社, 2005年)

正定値計量と言っても計算はほとんどこちらの宇宙のそれと並行で専らこの本に載っている計算を参考にした. ただし光線の軌道がヌル測地線でないことが曲がり角の問題をやや複雑にする.


*1:Maximaで計算. 参照: maxima.osdn.jp

*2:これを再度Maximaに入れてアインシュタインテンソルを計算すると"THIS SPACETIME IS EMPTY AND/OR FLAT"という表示が出てきてなかなか爽快.

*3:結局無視してしまうが補正項のφsinφの発散が気になる. 共振の起こる強制振動の方程式と同じ形をしているから当然ではある. 摂動論の基本が分からずこのあたり危うい.

*4:光子に静止質量があるためとみなせるためこの言い方ができる

*5:変換はx=rcosφ,y=rsinφ. グラフ上で長さを測ってはいけない...念のため