Shironetsu Blog

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バジリスクの卵

 北斜面生態系に属す生物は照期-昏期サイクルに同期したきわめて長周期の生活史を持つ。南極恒久研究所所属の研究員達のおよそ200年にわたる継続的な研究により集められた驚くべき観察記録は、南斜面生態系でも同様の適応が起こっていることを明らかにした(隔絶された2つの半球の生物たちの比較は進化に関する新たな知見をもたらすだろう)。
 南斜面最大の捕食者〈サラマンダー〉もまた、複雑な体制を持つ六肢動物でありながら照期-昏期サイクルに適応している。
 照期が近づくと夏の空に昇る太った太陽に照らされ斜面に苔が芽吹く。一次生産者であるその苔に群がる節櫛虫を捕食する重顎虫を、さらに捕食するのが〈サラマンダー〉だ。斜面に生息する多くの生物がそうであるように、この時期彼らは最も活動的になる。平たい顔の側面に並ぶ4つの目で重顎虫を見定めると先の割れた幅広の尾で跳びかかって食らいつくのだ。最照期の前後に彼らは南極海潮間帯に暮らす祖先たちと大きく変わらない方法で平均して4回世代交代する。ただし各世代に占める覚醒期間の割合は、南極海の生物たちをはるかに下回る。秋から春にかけて斜面生態系丸ごとが休眠状態に入るためだ。
 やがて昏期が近づき夏の太陽が痩せ始めると、獲物の減少に応じて〈サラマンダー〉の活動は鈍く、体も小さくなる。決定的な時期が訪れ主食の重顎虫が卵として地下に潜ると〈サラマンダー〉の耐昏相への移行が始まる。地面を這うための脚は縮小し、泡繭を紡ぐための腺が発達する。そして栄養をため込んだ嚢とともに泡繭の中に閉じこもる。昏期の夏の痩せた太陽では食物連鎖は回せない――南斜面の照期の夏の繁栄をもたらしていた太った太陽は、同じ時期に赤道環を越えた向こう側で照期を迎える北斜面の空に輝いている。照期の個体が経験する休眠よりはるかに長い期間を繭の中でじっと耐え抜く耐昏相はきわめて長命だ。胎生でありながらいわば卵として、長い昏期を乗り越え次の世代へ遺伝子を継ぐことこそが彼らの使命なのだ。
 春が訪れると彼らの役目は終わる。夏の太陽が太り、回復し始めた苔叢に小さな子を産むと痩せた体は破った泡繭の外で動かなくなる。



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 われわれの知る最初にして唯一の超大扁平率天体(SOO)は、発見当初スーパーアースとして誤って分類されていました。しかしトランジット観測により得られた光度曲線の"底"に大きな変化が見られたことからその特異性が知られることになります。
 トランジット法では主星を公転する惑星の蝕による光度の減少から惑星の性質を調べられます。光度の減少率は惑星が主星を横切って作る"影"の大きさに比例するため、光度曲線の底の深さはおよそ断面積の大きさに比例します。SOOの数回にわたるトランジット記録には顕著な断面積の変化が表れていました。惑星は自己重力で集積し、真球に近い形状をとるため断面積の変化は通常きわめて微小です。SOOではこの変化が公転1回(0.16地球年)あたり0.4%に及んでいました。
 この事実を説明するために提唱されたリング拡大説・大気膨張説には決定的な反証があり、有力な仮説として残されたのは大扁平率説でした。
 惑星は自転により赤道方向にやや膨らんだ回転楕円体形状をとります。そのため影の大きさは光の照射方向に応じて変化します。また、膨らみが主星の重力に手がかりを与えるため、自転軸の変化が引き起こされその周期は扁平率(赤道半径と極半径の差の赤道半径に対する割合)が大きいほど短くなります。これは歳差運動と呼ばる現象であり、こまが高速回転と同時にその軸をゆっくりと変えていくことにたとえられます。
 つまり扁平率が大きいほど光度曲線の底の深さの変化は速くなります。
 この原理に基づき、シミュレーションによる解析が行われました。当時ドップラー分光法により軌道長半径、および軌道離心率は確定した値が得られていたため、光度曲線の形状なども考慮に入れることで天体の形状の絞り込みが可能でした。
 推定された姿は赤道半径が地球の6.1倍、極半径が2.5倍で扁平率0.59というきわめて扁平な回転楕円体でした。平均密度は1.5g/cm^3です。
 一様密度の扁平な回転楕円体は自転の遠心力により平衡状態になることが常に可能です。しかしこの扁平率は安定性に問題があることが知られています。
 自己重力で集積する流体として天体の安定性は調べられます。それに従うと、扁平率が約0.42を超えると微小な擾乱に対して不安定になることが示されます。他の要素を考慮するとより厳しい制限が加わりますが、このもっとも単純な安定性解析による上限値すら推定値は超えていました。
 多くの反論がなされましたが、最終的に次世代宇宙望遠鏡による天体の直接撮像が予想を裏付けました。
 一連の研究は"産業のためのSETI"共同体の主導により行われました。
 SOOと呼ばれるようになったこの天体は、ダイソン球やケンプラーの首飾りに匹敵する天体スケールの工学的産物である可能性が指摘されました。回転楕円体形状を保つ未知素材、ないしは手法を解明できれば莫大な利益をもたらすと考えられます。



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 彼らは扁平率を愛していた。
 母星の地表にしがみつく柔らかくか弱い存在だったころ、空から彼らを見つめる赤褐色の〈眼〉――衛星である彼らの母星がその周囲を巡るガス巨惑星――は、その表面の白い筋の流れる方向に少し膨らんだ楕円の輪郭を持つことが、少し注意深く観察した者にはすぐに分かった。たぶん彼らの扁平率への執着は部分的にはそこに由来するのだろう。健脚と星の小ささのために宙に浮かぶ球状の世界という考えに馴染むのが早かった彼らの神話の中には、空に浮かぶ扁平な楕円体の世界を祖先たちの生地にとったものがいくつもあった。自分たちは〈眼〉から産み落とされたのだと。彼らの科学はまもなくそのガス巨惑星が生命を宿すためにはいかにも過酷な環境であることを解明したが、それでもなお「母」としてその星は親しみの対象であり続けた。
 工学がやがて彼らを定命と肉体の束縛から解放した。真空を疾駆し星々の歌に耳を澄ませ、それまでそうであり続けたように真理を学ぶことをやめなかった。
 巨大な力を得た彼らは、その行使の対象として宇宙をかき乱すことを慎むべき行為だとみなすようになっていたが、炭化水素から成る脆く湿った存在だったころに精神の核に宿していた衝動を捨て去ってしまうことはできないでいた。すなわち重力に抗することを。程度の差こそあれ、それは持ち上げたものが落ち、積み上げたものが崩れる世界で生まれた知性が共通にもつ文化的性向であった。
 かつて背丈の数十倍にもなる塔を建てた。深い谷に橋を架けた。摩天楼の立ち並ぶ都市を造りあげた。ロケットで天の向こう側へ飛び立った。
 そして扁平率を愛していたことを思い出した。
 それは祖先たちの空想を具現化する事業だった。必要とする技術とエネルギーこそ比べるべくもないほど莫大なものだったが、獰猛な獣を合成した空想上の動物の彫像を作ったり、空に浮かぶ架空の島を絵に描くような芸術的営為の延長に過ぎなかった。
 彼らは扁平な楕円体の星を作ろうとしたのだ。ただし宇宙中を探しても見つからなかったような平たさを。自然には現れえない極端な扁平率を持つ回転楕円体を。
 実際にそれに取り掛かったのは芸術家集団とでも呼ぶべきひとつの共同体だった。宇宙中に広がる同胞たちの中では幾分奇矯な行いに手を染めがちな一派ではあったが、知性を宿していないことを理由に天体を掘削し解体することはしなかった。そもそも安定性の限界を超えて天体サイズの回転楕円体を作るには、この宇宙に存在する物質では強度があまりに不足する。
 彼らは真空から取り出した圏外物質を使うことにした。適切に選定された圏外物質は、通常物質では実現不可能な途方もない強度を持つ固体状態を形成する。それゆえ、表面でポテンシャル等位面をなすよう巨大な角運動量を与えつつ育てられた氷惑星級の圏外物質天体は、液滴よりむしろ岩として集積していた。彼らがその気になれば惑星大の立方体を作ることすら可能だっただろう。もっとも、彼らの美意識に従えば自然からの逸脱は最小限であるべきだった。
 コンパクト天体に匹敵する永続性を約束された楕円体は、彼らの祝福を受けながら回り続けた。
 やがて作り主たちはこの宇宙を去った。彼らは彼らがこの宇宙で生きた証を残そうとはしなかったが、単なる愛着が楕円体を葬ることを思いとどまらせた。
 楕円体は恒星間の冷え冷えとした暗黒を、生まれもった角運動量はそのままに孤独に漂い続けた。

 彼らに落ち度があるとすれば楕円体を銀河間の虚無に産み落とさなかったことだろう。
 重力のいたずらにより、原始惑星系円盤の幼年期をようやく脱したばかりの若い赤色矮星の支配圏が楕円体の通り道に重なった。楕円体は初めて浴びる温かな電磁波の下で恒星の子供たちとの重力多体系のあわただしいワルツに加わった。
 舞踏会は2つの岩石惑星と1つの未熟なガス惑星の退場をもって閉会に至った。
 3つの惑星を弾き飛ばして大離心率ながら安定な軌道を得た平たい取り替え子は、ガス惑星が取り込むことになるはずだった残り少ない元素の雲をまといその地表に沈着させた。

 今や放浪者となった3つの惑星はそれを宿すにはあまりに過酷すぎただろう。この主系列星の下では複雑な有機化学のドラマは進行しないはずだった。一方作り主たちは他の星の運命に介入することはあってはならないと考えていたし、ましてや揺籃をつくるつもりなどなかった。しかし偶然にも楕円体の極の海は自己複製する炭化水素分子にとって好適な環境を提供したのだ。



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 仮想のガラスドームいっぱいに楕円体が投影される。肉体時代にこだわるこの空間の所有者に合わせて可視光3原色の祖先型――G型星育ちの眼はここM型星の下ではあまりに不便だ――に調整された視覚には、北極の輪郭はほの白くぼんやりと映る。その大気の雲の下、極に丸帽子のように載っているのが北極海だ。そこから赤道へと視線の先の緯度を下げると縁のぼやけがとれ輪郭がはっきりとしてゆく。赤道の上下に帯状に広がるのはほとんど真空の不毛地帯
 遠心力と重力の合力が地表面をポテンシャル等位面にするためにはやや不足する自転角速度は、赤道と両極に「高低差」を生む。極が低く赤道が高い。つまり極から赤道を結ぶ測地線はなだらかに延々と続く斜面になる。ポテンシャルに対して指数的な密度をもつ大気はその峰、赤道には届かない。地表を覆う物質も落ち、剥き出しになるのはこの天体の体積のほとんどを占める光沢のない暗い色の固体だ。

 「ここの太陽が若かったころ、未知種族が製作した楕円体がここに漂流して『捕獲』された、というのが現在最も有力な仮説。同時に重元素に富んだ岩石惑星がはじき出されたと考えればここに本来あるべき金属の乏しさを説明できる」

 軌道上に展開されたプロ―ブ群がひどく大きな多重極成分を持つ重力ポテンシャルの中を駆け回ってせっせと集めたデータは、氷を主成分とするごく薄い地殻直下から中心部に至るまでこの星内部の密度が均一であることを示していた。
 しかしその未知物質は金属ではない。そして系内の外側を回る矮惑星にも金属は多くない。この天体を形作る固体が通常の金属から転換されたものであれば話は変わるが、その線で探ることができるほど研究は進んでいなかった。

 「この天体上に鉱脈はあるのですか?」
 「今のところ未確認。絶対量が少ないうえに、地殻下の活動がないことが影響して鉱物として産出する元素はほとんどない」
 「では……〈深海魚〉の末裔たちが利用できる金属はここにはないのですね」
 
 両極の海に降り注ぐ恒星由来の電磁波は液体状態を保つには不十分だ。近日点で夏――陽光の射し込む角度は90度に近づき極には白夜が訪れる――を迎えるときは温暖だが、冬は圧倒的に不足する。0.71という極めて大きな軌道離心率が影響しているのだ。太陽に最も近づくとき0.9億km、遠ざかるときは5.2億kmと6倍になる。エネルギーフラックス密度はさらにその2乗の逆数の比、近日点に対して遠日点で実に3%にまで減少する。
 加えて歳差運動の周期がおよそ30地球年ときわめて短いため近日点で夏を迎える極は頻繁に交代する。夏の強い光を受けることのできた半球は歳差運動の半周期で入れ替わってしまう。
 しかし海が中まで凍り付くのを妨げる熱源がある。潮汐加熱だ。潮汐力は自転軸を変えるだけではなくわずかに天体をたわませ、発生する熱により液体の海が保たれる。同時に熱量を適度なものにする固体の固さは自転角運動量が持ち去られることを妨げていた。
 奇妙なことに、内部に流体が存在しないにもかかわらず周囲に形成されている磁気圏は、大気の保持に一役買っていた。
 〈深海魚〉たちはその暖かな海の氷冠の下に暮らしていた。真空の壁で隔絶された両極間で大きく形態は異なっているものの、どちらも同程度に複雑な体制だ。両者の間に遺伝的な繋がりが存在することが、太古に両極間の交流があったことを示唆していた。

 「金属なしでは知性の補助具の発達は必ず袋小路に迷い込みます。生体由来の素材では補えません」
 「……介入は慎むべきだ」

 〈深海魚〉の子供たちが知性を獲得するとは限らないだろう。もし「知的生命」が将来出現してもその思考形態は人間とはかけ離れたものになるかもしれない。

 「自らを取り囲む世界を理解するために十分な知性を備えた者が、溢れる好奇心や探求心を満たすための資源の絶望的な不足に気付くとしたら、これほど残酷なことはないでしょう」

(終)



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 これから上げる記事のためのイントロのようなもの。めちゃめちゃ扁平な惑星、ときたら読んだことのある人にはピンとくるかもしれない。ハル・クレメントの『重力の使命』だ。メスクリンの作る重力場と歳差運動についての考察みたいなものを上げる。上の文中で使った数値はそこで得られた結果を用いて出している。しかし今でも悩んでいるのでしれっと修正するかもしれない(詳しいことは後で書くが、歳差運動の周期、入射エネルギー、表面重力……等を妥当な値にするためにパラメーターを調整した結果やや無茶をしている感が残っている)。
 一応説明してしまうとタイトルは『竜の卵』を意識。バジリスクは雄鶏の卵をヒキガエルが温めることで生まれる、という伝承があるので(「カッコウの卵」だとかわいげがあるなと思ったがカッコウが卵を排除するのは孵化した後だった)。短いのにちょっと仰々しい。