Shironetsu Blog

@shironetsuのブログ

燠火(前半)

 目覚めた私が捉えたのは2πラジアンの視野だった――4πステラジアンではなく。そのうち半分よりいくらか少ない領域はいくらか眩しさを感じる赤い光の線が占め、もう半分にはわずかに赤みがかったり青みがかったりしている弱く白い光点が所々に混ざった暗い線が見える。注意すれば、赤い光の線と黒い線のぼやけた2つの境界の一方から小さい光点が現れ、もう一方には同じ速さで消えていくのが分かる。私はそのゆっくりとした流れにオルゴールのホイールを想起しながら、夢の続きの場面のようなこの光景を理解することを始めた。


 夢の中で展開されるのと同じ、目に見えたものを都合よく理解しようとする論理が働き、私はそれを自分が2次元の世界にいることの自然な結果だと理由付けして納得した。あるいはまだ夢の中なのかもしれない。しかし、意識がはっきりとしてくるにつれ、視界に入るものの異常さを認識するだけの常識と自分の置かれた状況を検討するための材料を記憶の中から集める能力を取り戻していった。夢なら視界が明瞭すぎる。目に見えるものについて判断する前に理解が訪れる夢の感覚は無かった。当然陥るべき狂乱状態を経過することなく自らの身に起こったことの分析を始めた冷静さ、あるいは鈍さにはむしろ混乱させられた。だがすぐにその理由に思い至った。この世界、2+1次元宇宙へと私は来るべくして来たのだ。

 眠りに着く前の記憶は鮮明だった。私は一般次元の磁気双極子同士の相互作用の計算に悪戦苦闘していたのだ。

 3+1次元において、磁気双極子は軸性ベクトル量と対応させれば電気双極子が作る電場と同じ形の磁場を作る。これに加え、電場の応力テンソルと磁場の応力テンソルも同じ形になることから、磁気双極子同士に働く引力・斥力は電気双極子同士のそれと同じ形に表せることが分かる。すなわち磁気双極子は、その相互作用について、絶対値が等しく異符号の"磁荷"が両端に付いたダンベルと等価になるのだ――ただし"磁荷"間の引力がクーロンの法則に従うとして。

 より一般のn+1次元ではそううまくはいかない。磁場は2階の反対称テンソルとしてn(n-1)/2個の独立成分を持ち、磁気双極子も同じく2階の反対称テンソルと同じように振舞う。3+1次元でうまくいくのは、空間の体積形式を介した双対によって2階反対称テンソルとベクトルとの間に一対一の対応関係――ただし空間の向き付けに依存する――が存在するからだ。これは平面とその垂線との一対一関係があることと同じ事情によると言える。

 私が試みたのは、もっとも単純な状況として、2次元平面の定常的な円電流の作る磁気双極子モーメント同士の相互作用を計算することだった。それには2つの間に挟まれたn-1次元超平面の各点の応力を足し合わせればよい。ちょうど3次元と同じように。ところが手順は正しいに違いないのにガンマ関数やベータ関数が次々と現れる積分計算を経て得た答えはnに3を代入したとき3次元の場合と整合しなかった。計算過程を点検しても間違いは見つけられなかった……というか乱雑に書き散らしたためにその作業は意味を成さなかった。

 心が折れた私は布団を被った。人間が一日に取り組むことのできる積分の回数はその体力による。目が覚めて気力が回復していたら自分に一からやり直しさせよう。

だがそもそも「向かい合わせ」の双極子間の引力、斥力を計算したところでその相互作用の定性的な理解には遠く及ばないのだ。一般次元の「磁石」間に働く力を理解する術を探しながら私は眠りについた。

ところでこの過程では意図的に2次元の場合が除外されていた。「一般次元」と称しながら、である。ポテンシャルが対数になることや成分が少なくなることからくる例外的な扱いを後回しにしていたのだ。

そして目覚めたのがこの2次元空間だった。誰が私をぺちゃんこにしたのだろう?多分私は2次元への軽視によって2次元世界を尊ぶ何者かの怒りを買ったのだ。その〈圧搾者〉はこのフラットランドへ閉じ込めることで私を改心させることを目指しているのだろう。

私はいくらか催眠効果を持っていそうな光点のゆったりとした流れを眺めながらそこまでの推論を進めた。自分が嫌っているはずの、根拠の薄い悟りを土台にした論理展開に自嘲的な気分になったが、突然2次元に押し潰されて無事でいることに比べれば遥かに許しやすい荒唐無稽さだった。

 そろそろこの世界と向き合わねばならない。〈圧搾者〉はどういう技術によってか、私の精神に破壊的なダメージを与えることなく2次元のこの肉体に転写していた。削ぎ落とされたであろう無数の器官と同時に省略された神経の不在による異常は今のところ感じられなかった。残された神経はいくらか簡略化されているとは言えそれを平面に転写することは可能だろうか?ひょっとするとそんなことはせず精神は3次元に取り残されているのかもしれない。だとすればこの体も、2次元空間内に埋め込んで全てを完結させるという手の込んだパズルなどせずに、「外部」の空間に飛び出した部品をつぎはぎして集めた塊にすぎないのかも――あるいはもっと単純に全てが表面だけの見せかけでありさえするかも――しれない。しかし私はそうは信じられなかった。これは「現実」だ――あらゆる細部にわたって自己完結した法則に基づいて動いているという意味で。この世界に対して、破綻をきたすことなく整合性を保証するためにあてがわれるもっとも単純な方法としての数学的仕組みとして物理法則が働いていると考えるのは決して間の抜けた妄想ではないだろう。その確信は〈圧搾者〉が力ずくの方法として脳を薬漬けにしたことによるものでもありえた。だがもしそうなら、2次元を尊重させるために嘘の舞台と心理への直接の干渉のどっちつかずの方法を取ることにどれだけ意味があるか?いずれにせよ確信とそれを支える感情は自己肯定的だった。何一つとして信用に足りる証拠を自分に示すことはできなかった。しかしこれ以上の疑いで、この世界を解釈するためのもっとも簡単な道具を自分から奪うつもりにもなれなかった。

 2次元への単なる埋め込み以上におそろしささえ感じる巧妙な技術は、この2次元の肉体への神経の調整と適合にあった。視覚は2πラジアンの視野を、もともとそうであったかのように自然に処理していた。ただし3次元的視野も忘れることなく。

 少し力を入れると4本の「腕」が動くのが視野に入った。それは気味が悪く驚きをもたらす体験であったには違いないが、半ば諦めのようなものを感じながらすぐに受け入れる他なかった。付いていたのは4本ともほとんど同じ形状、大きさの、わずかに透き通った肌色を帯びる鰭のようなものだった。いや、鰭と言えるかどうかは分からない。少なくとも、1次元的情報から奥行きを捉える感覚――3次元人の立体視の対応物――はその一本線を、鋭角二等辺三角形の辺を膨らませた形に認識した。
この鰭の生える部位に眼は付いているはずが無いから、人間が2つの目からの情報を統合するのと同様の方法で隙間は埋められているはずだ。五感の他の感覚由来の情報は、眼の周囲にこれらの感覚器が備わっているとしても今は感じられなかった。鰭はおそらく胴と同じかそれ以上の長さに渡って延びていたが、力を入れても互いに触れさせることはならず、触覚についても分からない。自分の体のうち見ることができるのはこの4つの鰭だけだった。

 ここまで徹底的な神経の再配線が施されていることが明らかであれば、自らの連続性についての確信は揺らいで当然のはずだった。脳をかき混ぜられたと信じているのに自分の過去への信用を喪失しないのは矛盾している。だがまたしても混乱は訪れず、新しい肉体への理解は自分を再発見する作業であるかのように淡々と進んでいった。

 私はここまでで知ったことから自分の姿として4本の鰭の生えた円盤を想像した。鰭を不器用にじたばたと左右に反らす憐れな円盤だ。ちらっとミズクラゲを連想したが、すぐに思いなおした。
この2次元世界においてこの形態はもっとも厚みのある姿だ。「平ら」に思われるのは、存在しない"z軸"方向から3次元的な視点で想像しているからに過ぎない。その仮想の"z軸"、いわば真横の方向から見れば内臓まで全て見えるだろう。ただし管状構造は存在しないはずだ。そういう意味ではやはりクラゲに近いのかもしれない。それ以前に、消化器の存在や代謝の仕組みの有無など、この肉体がこの世界で生存可能なつくりになっていることへも疑いを向けなければならない。何を食べればいいというのだ?

 眼は少なくともその鰭同士の間に4つは配置されているはずだがもっと多いかもしれない。その眼から延びる神経のつながりについては何も分からない。交叉は最小限にとどめられているには違いないが全く無いというわけにはいかないだろう。直線的な電気的信号伝達とは異なる、例えば複数種の化学物質の濃度勾配を積極的に利用するような巧妙な仕組みが存在しているのかもしれない。

 その眼によって再び周囲に注意を向けると、光点は変わりなく流れ続けていた。〈圧搾者〉はこの憐れなクラゲに、親切心からか、3次元の類似物への連想につながりやすい色覚を備えさせていた。視界の半分に広がるのは「天球」、暗闇を背景とした光点はその一つ一つが星なのだ。その色が恒星の表面温度に対応するものなのか、可視光のスペクトルと色の関係までは分からない。しかし少なくともそのどれもが見慣れた星の色だった。暗闇が黒くある必然性さえ無いのだから、この類似は恣意的なものであったが、周囲の理解の簡単化には大きく貢献していた。

 ではもう半分に広がる赤い光は何か?間違いない――太陽だ。この赤さが「本物」かどうかは分からない。しかし〈圧搾者〉がもしこの色付けに意味を与えているならきっとヘルツシュプルング・ラッセル図の右側、天球に輝く白い星より穏やかに「燃えて」いることを示しているのだろう。この炭火のような光に絶え間なく片面を焼かれて無事でいられる肉体は一体何でできているのか、考えを進めようとしたところで諦めた。全てに対応関係が付くわけではないだろう。

 つまり、今の私は太陽の軌道上を衛星、いや、「惑星」として自由落下しているのだ。太陽の見え方にほとんど変わりは無い。角運動量の保存則に従って円軌道を描き続ける無力な質点だ。

私はここで電磁波を自明視していることに気付いた。2+1次元時空での電磁場を公平に扱うことこそプレスされた原因なのだった。手始めに一般次元のマクスウェル方程式を思い描いた――
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順にガウスの法則、磁荷の非存在、ファラデーの電磁誘導の法則、アンペール-マクスウェルの法則と、3+1次元で呼ばれるものに相当する。独立な式の数は1+nC3+nC2+n個だ。

2+1次元を例外的なものにするのはまず磁場の成分の数だといえる。n+1次元においてその独立成分の数がn(n-1)/2個になるため、2次元ではたった1成分のみ、すなわち磁場は"擬"スカラーになる。1,2成分をBで表せば,マクスウェル方程式
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とたった4つの式からなることになる。磁荷の非存在に相当する式はなくなる。

再び一般次元を考えると、簡単な式変形から、波動方程式
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を得る.

――私は赤い光を浴びながら、戯れにシュテファン-ボルツマンの法則を導出することを試みた。――

 エネルギー密度、ポインティングベクトル、マクスウェル応力テンソルはそれぞれ
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であり、電磁場が持つ等方的な圧力Pは、応力テンソルのトレースから
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となるべきものである。――ここでn=3においては直ちにP=u/3が得られること、n=2では電場の、n=4では磁場の応力テンソルのトレースが0となることに気付いた。これが3次元の特殊性の1つと
言えるものであるのは確かだが3次元を有利にしているものでありえるだろうか?――電磁ポテンシャルを介して自由電磁場の波動方程式を解けば、エネルギー密度のうち電場と磁場の担うものが相等しくなることが3次元と同様に分かる。ここから、電磁波の状態方程式として
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を得る。後は熱力学の問題だ。uが温度Tのみの関数であるという仮定の下で
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と、エネルギーが温度の(n+1)乗に比例することが分かる。――2次元なら温度の3乗だ。しかしそれを知ったところでこの太陽について分かることは何もない。放射強度、比例定数、半径、必要な数値はどれもこの体では到底得られそうにない。もっとも、得る必要もないからこれ以上考えるのはやめた。

 この結果を導いて満足した段になって私は数式の変形がとんとんと進んだことにようやく気付いた。紙と鉛筆と手を奪ったことへのささやかな補償として強化が施されたのだろうか?それよりは彼らが計算によってこの世界を理解することを重視したために憐れな脳を改造したという見方のほうが、もっともらしかった。困惑することに、私を一番動揺させたのは注意を向けるまで気付かずにいたこの内部の変化だった。眠りにつく前の自分との連続性への確信が揺るぐほど私は哲学に浸るつもりはなかったが、〈圧搾者〉が頭の中で複雑に入り組んでいるに違いない機能とその周辺に傷を付けずにこの変化をもたらしたと能天気に考えるのは難しいことだった。とは言え、配線の方法への不信を上回る魅力的な贈り物であることは認めざるを得ず、疑いは単に自分が正気を保って屈服しきったわけではないことを確認するための防衛的な心理であったのかもしれない。

 どこまでできるか試すべく、計算の対象を探そうと再び周囲を眺めた私の眼が捉えたのはこの世界に来て初めて認めた影だった。「下」側――上下を意識することに近い感覚はあったが、きっとこの状況では胃があれば吐き気を引き起こしたに違いない人間の平衡感覚とはまた違ったものだった――、太陽の上の黒い点だ。多分気付いていなかっただけでしばらく前から見える位置にあったのだろう。私は初めそれを目印に太陽の自転を測れることを期待したが、また新たに気付いた遠近の感覚がその距離がもっと近いものであることを告げた――あれは私と同じ「惑星」だ。

 正体不明の物体に近づくことへの恐れを脇に追いやった私は、その方向へ近付いていく方法を考えはじめ、この鰭は役に立つものだろうかと思案しつつ眺めた。既に気付いていたことだがこの高度に大気はない。あったとしてもこの鰭に抵抗を与えられないほど希薄だ。代替案として、この鰭がもし太陽帆なら光圧から運動量を得られることを思いついた私はどの角度なら望んだ方向に進めるか鰭を動かして頭を悩ませる一方で目標を睨んだ。加速に気付いたのはそのすぐ後だった。向かっているのは正しく目標の方向だ。鰭が太陽帆としての役に立った?違う、目標方向の反対側に引かれるのを感じながら私は思いなおした。それなら今まで鰭を動かしたときにも加速は感じたはずだ。別の何かが体内で働いていた。

 自転車を見たこともないのにサドルにまたがってすぐに運転できたかのような感覚を味わいながら、半ば無意識的な操舵で体が動くのに任せて私は軌道上の物体のランデブーをモデル化したヒルの方程式を思い出した。――
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原点は円運動する目標物体、xは動径方向にとった軸、yは角度方向の軸を意味する。ωは目標物体の角速度だ。x方向に進めば遠心力がより引き離す方向へ働き、速度を出せば進行方向右手にコリオリ力が加わる。今見えている惑星を目指してまっすぐ進めば、余分な角運動量がその手前方向に軌道を逸らすことになるのだ。しかし軌道力学を知っていようと必ず犯すであろう失敗を回避する本能が
この体には組み込まれていたようだった。目標への接近は着々と進む。自ら身につけた技量ではないとはいえ、全自動のプログラムに任せきるよりはいくらか操縦の感覚があるこの体験を楽しんだ。

 kが4未満ならα=√(4-k)として、力fがかからない状況で解として
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を持つ。k=3にz方向の単振動を加えればCW解として知られる解になる。

 問題はkだった。kは中心力;重力の距離との依存性を表す量だ。kが4を超えればわずかな摂動が指数関数的な落下か離脱を引き起こす。こうして安定的にのんきに回り続けてきた以上、kが4未満であることは確かだ。フラックスのアナロジーから、その値はn次元においてnになる――逆(n-1)乗則――のが確からしいが、根拠に欠ける。ポアソン方程式を考えることが必要だった。

ここに至って2次元の重力の特殊性を思い出したが(私に測地線を辿らせてきたこの重力は何が源だ?)、いつの間にか視直径が数度に膨れていた、ストーブの前に置かれているかのように赤く照らされた目標の姿を片側の眼で認めたことによる驚きがそれをかき消した。光沢のある線とその間に挟まれて並んだ暗い破線、所々に見えるやや明るい点――ゆっくりと回転するその輪郭を、2次元遠近感覚は中心の膨らんだ4つの刃を持つ手裏剣として翻訳した。私は同類に出会ったのだ。

(「燠火」(前編)終)

ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)

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